タイヤ国内4位の東洋ゴム工業の再建に暗雲が漂う。免震ゴムの偽装事件を受け、ガバナンス(企業統治)改革を進めるために招かれた駒口克己会長が、わずか半年で辞任した。
東洋ゴムは5月27日、駒口氏が辞任したと発表した。辞任の理由は「本人の健康上の問題」としている。だが、額面通りに受け取る向きはほとんどいない。社内の改革方針をめぐって、駒口氏と生え抜き取締役の間で意見が対立したとの見方があるのだ。
東洋ゴムは2007年の断熱パネル、15年春の免震ゴムに続き、同10月には船舶や鉄道車両に使われる防振ゴムでも性能偽装が発覚した。13年夏に免震ゴムに問題があるという事実を把握しながら、15年2月まで出荷を停止しなかった。一連の問題の責任を取り、6月に信木明会長、山本卓司社長ら社内取締役5人全員が辞任を表明。外部の人材を登用して信頼回復を急ぐことにした。
清水隆史常務執行役員が社長に昇格した。同志社大学経済学部を卒業して東洋ゴム工業に入社した生え抜きで、タイヤ事業の管理部門を歩き、最大の市場である米国の現地法人社長を務めた。15年7月にタイヤ事業のコンプライアンス・オフィサーに就任し、タイヤ全般の法令順守に関わる問題を一元的に担当していた。
外部から招くとしていた会長職には駒口氏が就いた。千葉工業大学卒で、86年に京セラ入社。01年、京セラミタ(現・京セラドキュメントソリーションズ)取締役に就き、その後は07年4月から15年3月まで京セラドキュメントの社長、副会長を歴任し、この間、京セラ本体の専務を兼務していた。京セラが複写機製造の三田工業を傘下に収めてからは、技術担当として複写機事業を京セラの稼ぎ頭にした実績を持つ。
15年11月12日開催の東洋ゴムの臨時株主総会で駒口、清水両氏は取締役に選任され、その後の取締役会でそれぞれ会長、社長に就いた。記者会見した清水氏は「創業70年の会社は有史以来の危機的な岐路に立っている」と危機感をあらわにした。
社内の風土改革を託された駒口氏は「すべてのウミを出し切る」と強調し、免震ゴムと防振ゴム問題の解決に全力を挙げる考えを示した。山本前社長ら旧経営陣は15年12月31日付で退社した。
本流のタイヤ部門と危機感に温度差
新しい経営体制がスタートしたが、改革に対する社内の受け止め方には温度差があった。3度の不正は、いずれも売上高が2割程度にとどまる非タイヤ事業で発覚していたからだ。
本流であるタイヤ事業は堅調だ。特に15年12月期の連結決算は北米での大型タイヤ販売が好調で、売上高は前期比4%増の4077億円、営業利益は33%増の633億円を上げた。連結営業利益の9割以上はタイヤ事業が稼いだ。