「由布院らしさ」を失った由布院、熊本地震後にあえてPRせずに復活…驚異的「底力」
たとえば、生野氏のアイデアによる「まち歩きガイドツアー」では、こんな時期に来てくれたJR利用客向けに、大分川沿いの道などを案内した。霧がかかっていなければ町のどこからでも見える名峰・由布岳(標高1583m)。そのなかでも、川沿いの景色は格別だ。冒頭の写真から少し歩いた場所にある、筆者が好きな景色を下記の写真で紹介してみたい。
また、冬の閑散期に由布院が毎年行う「旅の扉 旅の鍵」という企画がある。旅館組合加盟施設に宿泊したすべてのお客に、各施設がそれぞれ足湯入浴の無料サービスや手荷物の一時預かり、授乳・おむつ交換の場所提供などを行うものだ(サービス内容は施設によって異なる)。今年は1月10日から2月28日まで実施されているが、この取り組みに熊本県の人気観光地である黒川温泉も加わり、「黒川・由布院 350のおもてなし」となった。
「もともと黒川温泉とは10年ほど前から青年部を通じて交流があったのですが、熊本県、大分県と県が違うこともあり、頻繁な行き来とはなっていなかった。それが地震後に、黒川の関係者が由布院に来られたのを機に話が盛り上がり、連携を始めたのです」(生野氏)
当連載記事でも紹介したが、現在のビジネスキーワードのひとつは「協調」や「協働」だ。被害を受けた両県の人気観光地が手を携えるのは、民間の取り組みとして興味深い。
「昔ながらの景色」を守り続ける努力
「どこか懐かしい」「昔ながらの自然が残る」として人気の由布院だが、高度成長期には何度も開発の大波にさらされ、それを住民が押し返してきたからこそ、現在の風景がある。
当時、中心となって町づくりを進め、現在の由布院のご意見番的存在となっているのが、元由布院温泉観光協会会長の中谷健太郎氏と溝口薫平氏の2人だ。町づくりの企画者が中谷氏、調整役が溝口氏だったという。子供世代に社長の座を引き継いだが、それぞれが経営する「亀の井別荘」「玉の湯」は、「山荘無量塔(むらた)」とともに、「由布院御三家」と呼ばれる名旅館だ。
「由布院は女性的な町ですから、ほかの町から“お婿さん”として来る人や企業は大歓迎です。そうした交流で町は発展していくのです。ただし “家訓”らしきものがあるので、それは守っていただきたい」(中谷氏)
家訓の基となったエピソードが2つある。ひとつは大正時代にまとめられた「由布院温泉発展策」で、もうひとつが71年に中谷氏、溝口氏、「山のホテル・夢想園」社長の故・志手康二氏による若手旅館主人3人が視察した欧州貧乏旅行の成果だ。現地視察の際に、ドイツのバーデンヴァイラーという田舎町の小さなホテルの主人で町会議員でもあったグラテボル氏が3人に語った、次の言葉が町づくりの大きなヒントとなった。
「町に大事なのは『静けさ』と『緑』と『空間』。私たちは、この3つを大切に守ってきた。私たちは100年の年月をかけて、町のあるべき姿をみんなで考えて守ってきた」
この言葉に心を動かされて勇気づけられた3人を中心に、昔ながらの風景を守っていく。志半ばで倒れた志手氏の遺志は、妻で現在、山のホテル・夢想園会長の淑子氏が継いだ。
大分県を代表する文化人でもある中谷氏と溝口氏は、地震後の由布院をどう感じているのだろうか。次回は2人へのインタビューをもとに「由布院ブランド」を再考察したい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)