「由布院らしさ」を失った由布院、熊本地震後にあえてPRせずに復活…驚異的「底力」
地震後の日本人観光客訪問を押し上げたのが、16年12月28日まで実施された「九州ふっこう割」だ。政府が行った助成制度で、旅行代金が最大70%割り引かれ、「せっかくだから由布院に行こうと思って訪れてくださる方が多かった」(同)。ふっこう割需要が終わった今年からが正念場である。筆者が話を聞いた限りでも、まだ関東地方からの観光客は少なかった。
「由布院が好きでよく訪れていましたが、今回は地震後、初めての訪問です。普段、家族の介護をしているので、気晴らしに温泉に入り、喫茶店も訪れて、いい気分転換になりました」(山口県山口市から訪れた60代の夫婦)
こうした由布院ファンも戻りつつあるが、関係者にとって考えさせられる言葉もあった。地震後に、閑散とした光景を見た常連客が「昔の由布院みたいね」と言ったひとことだ。
現在のような人気観光地になる前の由布院は、「奥別府」とも呼ばれた寒村だった。それが年間約330万人の観光客が訪れるようになると、道は混雑してのんびり滞在できない場所も増えた。復活と由布院らしさの両立は、なかなか難しいのだ。
黒川×由布院の連携をスタート
熊本地震後の由布院は、積極的な情報発信をしなかった。「しばらく余震が続いていたので、お客さまの安全を考えると『どうぞお越しください』とは言えませんでした。そんな由布院から人がいなくなった16年4月から6月の厳しい時期を支えてくださったのが、地元・大分県の方だったのです」(由布院温泉観光協会会長の桑野和泉氏)
「普段はにぎわいすぎて行きにくかったけれど、こんな時だから由布院に来ました」といった大分県民の声を至る所で耳にしたという。地元に支持されるのは、由布院の人柄ならぬ土地柄かもしれない。当地を訪れて感心するのが、無理強いしない「よろしかったらいかがですか」という姿勢だ。観光地にありがちな押し付けがましさが少ない。
旅館・由布院玉の湯の社長でもある桑野氏は、国土交通省・観光庁が認定した「観光カリスマ」溝口薫平氏の長女として当地で生まれ育ち、1992年に東京から帰郷すると、暮らしと一体化した生活型観光地・由布院の町づくりに取り組んできた。地震後に桑野氏や前出の生野氏らが取り組んだのが、おもてなしの深掘りだ。