由布院、屈指の人気温泉を「つくった」90年の裏歴史…3人の「うるさい立役者」の戦い
大分県の由布院温泉を現在のような国内屈指の人気温泉地にした立役者が、地元の旅館経営者、亀の井別荘・中谷健太郎氏、由布院玉の湯・溝口薫平氏、山のホテル夢想園・志手康二氏の3人だ。40年以上続く企画で、各メディアで報道される「辻馬車」「湯布院映画祭」「ゆふいん音楽祭」を始めたのもこの人たちだった。
残念ながら志手氏は51歳の若さで亡くなったが、中谷氏と溝口氏は共に由布院温泉観光協会会長を務め、農村の風景が残る由布院の環境保全にも取り組んできた。大分県を代表する文化人として各地で講演も行う2人に取材し、「由布院らしさ」の本質を考えてみた。
「由布院温泉発展策」と「欧州視察」
――2016年4月の熊本地震から9カ月、由布院の観光客も戻りつつあるといわれますが、現在どんな思いでいますか。
中谷健太郎氏(以下、中谷) 「お客さまが戻ってきた」といわれますが、戻ってこられたのは、ここ10年以内の客層です。特に韓国・中国などインバウンド(訪日外国人)の方が中心で、たとえば1991年にJR由布院駅舎(磯崎新氏設計)の竣工当時に由布院に来られた客層は十分に戻ってきていません。さらにいえば、我々が由布院の町づくりに取り組んだ40~50年前の客層もそうです。
90年前の祖父の世代に来た客層は、著名人では犬養毅、北原白秋、与謝野晶子などがいました。90年前まで遡った理由は、由布院には、その頃から脈々と受け継がれる町づくりの骨格となった先人の教えがあるからです。日本で最初の林学者と呼ばれた本多静六博士(明治神宮や日比谷公園などの設計者)が1924年10月に当地で語った講演をまとめた「由布院温泉発展策」です。それには「ドイツのバーデンバーデンに学べ」「町中が公園のようであればいい」「地場の産物を研究開発する」といった多くの提言がされています。爺さまの世代が感動して記録に残したのです。