由布院、屈指の人気温泉を「つくった」90年の裏歴史…3人の「うるさい立役者」の戦い
――そうした教えが1971年、当時30代だった中谷さん、溝口さん、志手さんの旅館主人3人による自腹での欧州視察旅行、その前後に取り組んだ環境保全活動にもつながったのですね。
溝口薫平氏(以下、溝口) 本多博士の「発展策」も参考に、由布院に残された自然や古い町並み、お寺、盆踊りといった自慢探しを始めたのです。大型開発にも反対し続け、「あの3人さえいなければ町は静かなのに」と言われながらも賛同者は徐々に増えました。
欧州視察で最も感銘を受けたのは、ドイツの田舎町・バーデンバイラーのホテルの主人で町会議員だったグラテボル氏の言葉「町に大事なのは『静けさ』と『緑』と『空間』。私たちは、この3つを大切に守ってきた」ですが、最初に力説された言葉も忘れられません。
「君たちは町づくりを始めたばかりだが、町にとって何ができるのだ。君は? 君は? そして君は?」と、私たち3人を順番に指さして詰問調で問いかけられました。みんな顔を真っ赤にして答えられないでいると、「町づくりには企画力のある人、調整能力のある人、伝道力のある人の3人が必要だ」とアドバイスしてくださった。この言葉を参考に、その後は企画者・中谷、調整者・溝口、伝道者・志手という役割分担で活動しました。
由布院を支えてくれる「地者と他所者」
――1975年の大分県中部地震で、由布院が風評被害を受けたのを逆手にとって、現在に続く辻馬車や映画祭、音楽祭、牛喰い絶叫大会などが始まりました。めざしたのは、「いらっしゃい、いらっしゃいの『宣伝』でなく、由布院はこんな町ですという『表現』だった」と聞きました。
溝口 「由布院は健在だ」ということを発信するには話題づくりが必要、それも単発ではなく連続して行おうと、さまざまなイベントを実施しました。たとえば辻馬車は長崎県に行き、対州馬を観光協会や中谷さん、私などが各1頭、計5頭購入し、各自で調教したのです。
メディアの力も大きく、辻馬車を走らせるまでの悪戦苦闘を九州朝日放送(KBC)がドキュメンタリー番組として全九州に報道してくれました。その後も毎年、辻馬車運行が始まる日にニュース番組で報道されるようになり、目的を果たせました。