ところが09年12月29日、李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)は平昌オリンピック招致のために李健熙氏を恩赦することを発表し、10年3月24日、サムスン電子会長として経営復帰した。
一方で08年、CCO職を退いた李在鎔専務もまた、09年には副社長兼最高執行責任者(COO)、10年は社長兼COO、12年には副会長に就任した。
事業継承問題
しかし、ここで大きな課題として浮上したのが、事業継承問題だった。創業家の李一族はサムスングループ全体の株式の2%程度しか保有していない。李一族がこれまでサムスングループ74社を支配してこられたのは、李健熙会長のカリスマ的な経営手腕と循環出資と呼ばれる複雑な株式持合い構造があったからだ。
循環出資は少ない資金で多くの企業を支配することができ、節税にもなることから、同族で支配する財閥企業で利用されたが、一方でそうした経営形態が社会的に問題視されるようになってきた。グループ企業が上場などをしていくなかで、外資系ファンドの影響力は増していく。一族支配を続けていくためには持ち株会社によるグループ経営に切り替えていかなければならないが、一族が直接支配する持ち株会社形態にするためには、20兆ウォンの資金が必要となる。
そこで浮上したのが、サムスングループの事実上の持ち株会社として機能していた第一毛織と旧サムスン物産との合併だった。
第一毛織は李在鎔副会長が23.2%、ホテル新羅社長の李富真(イ・ブジン)氏が5.5%、第一毛織ファッション部門社長の李敍顕(イ・ソヒョン)が5.5%と、一族で34%を保有。創業者一族の資産管理会社のような存在となっている。
一方で、サムスン物産では、李在鎔副会長がわずか1.4%程度を保有する程度。そのため、両社を統合することで李一族がグループ全体を掌握するという戦略だ。
突然のトップ不在
ところが14年5月10日夜、李健熙会長は急性心筋梗塞で意識不明となり入院。事実上の経営は李在鎔副会長が担うことになり、第一毛織と旧サムスン物産との合併も自ら進め、15年5月26日に旧サムスン物産:1に対して第一毛織:0.35で合併することを表明。さらに7月17日、第一毛織の株主総会で承認された。