ところが出てきたのは「ガイドライン」ではなく「ガイドライン案」だった。しかも「案」からガイドラインになるのは法改正の施行時(19年4月を予定)と先延ばしされてしまった。
そこまでならまだよい。「ガイドライン案」そのものも曖昧なものとなっている。ガイドライン案の中身はヨーロッパの基準を参考に、基本給、ボーナス、各種手当などについて、正社員と主に有期契約社員、パートタイム社員の間でどのような格差が問題になるかを具体的な事例を挙げて書いている。
たとえば社員食堂を利用する際の食事補助が正社員には出るが、非正規には出していない会社も多い。これについてガイドライン案では、勤務時間内に食事時間が挟まれている労働者に対する食費の負担補助として支給する食事手当について、「有期雇用労働者又はパートタイム労働者にも、無期雇用フルタイム労働者と同一の支給をしなければならない」と明確に規定している。
また、正社員に支給されるボーナスについても、会社の業績等の貢献に応じて支給している場合は、正社員と同一の貢献であれば「貢献に応じた部分につき、同一の支給をしなければならない。また、貢献に一定の違いがある場合においては、その相違に応じた支給をしなければならない」と規定している。つまり、正社員に比べて貢献度が低くても、正社員との見合いに応じて支給しなさいと言っている。
こうした規定が実際に履行されれば、非正規労働者の待遇は多少改善されるかもしれない。しかし、それは大本となる法律で労働者が容易に裁判に訴えられる保障が前提になる。つまり、処遇格差の合理的理由の立証責任を使用者側に持たせることである。
ところが「ガイドライン案」の前文には「本ガイドライン案は、いわゆる正規雇用労働者と非正規労働者との間で、待遇差が存在する場合に、いかなる待遇差が不合理なものであり、いかなる待遇差が不合理なものでないのかを示したものである。この際、典型的な事例として整理できるものについては、問題とならない例・問題となる例という形で具体例を付した」と書いている。
「不合理なものでないか」という表現は現行法の「労働条件の相違がある場合、その相違は不合理と認められるものであってはならない」という条文と似ており、一見すると、労働者に立証責任を持たせようという疑いを抱かせる。なぜこういう表現なったのか。
調整の産物
実は経団連など経済界は、使用者側に待遇格差の説明責任と立証責任が移ることを警戒し、現行法の規定をそのまま残すことを主張してきた経緯があるからだ。実際に「ガイドライン案」の策定までに内閣官房を通じて原案が事前に経団連など関係者に示され、内容をめぐって秘かに調整が続けられた。ガイドライン案はその“調整の産物”なのである。
では、具体的にどのように法律を改正しようとするのか。注目された冒頭の実現会議の「働き方改革実行計画」ではこう書いている。
「裁判上の立証責任を労使のどちらが負うかという議論もあるが、訴訟においては、訴える側・訴えられる側がそれぞれの主張を立証していくことになることは当然である。不合理な待遇差の是正を求める労働者が、最終的には、実際に裁判で争えるような実効性ある法制度となっているか否かが重要である。企業側しか持っていない情報のために、労働者が訴訟を起こせないといったことがないようにしなければならない」
法改正の最大の肝である立証責任の所在が労使のどちらにあるかを示すことのない曖昧な表現に終始している。
これではどんな法律・条文になるのか、さっぱりわからなくなったといえる。
通常の労働法制の改正などは、首相や厚生労働大臣が公労使3者で構成する労働政策審議会に検討を指示する。そこでまとめた法案を閣議決定した後に国会に提出し、成立させるという流れを踏む。
だが、労働者代表と使用者代表同数で構成する審議会では利害が絡むテーマは議論が紛糾し、なかなか結論を得にくいと問題があった。そのため、安倍首相は同一労働同一賃金については官邸主導で推進することを国会で宣言し、実際に実現会議で一定の結論を出した上で労働政策審議会を通過させるシナリオだった。
その象徴的事例が時間外労働の上限規制だ。事前に労使の協議を促し、「1カ月の上限は100時間未満」とする裁定を安倍首相自ら行い、労働政策審議会で議論する前に法案の具体的骨格まで決めている。
それとは正反対に同一労働同一賃金に関しては労働政策審議会にほぼ丸投げということになってしまった。審議会の議論は4月以降に始まるが、労使の利害が絡む最大のテーマであり、その帰趨は労使の当事者にもわからない状態になっている。
審議会を所管する厚生労働省の幹部も「法案内容がどうなるのか我々にもまったくわからないし、議論次第では法律の施行時期も予定通りにいくかもわからない。できれば実現会議で決めてくれていたほうがスムーズに運んだかもしれない」と語る。
審議会の議論が紛糾すれば法律だけではなく、ガイドラインの施行時期も遅れるかもしれない。そうなれば格差に苦しむ非正規労働者の処遇の改善が遠のくことになりかねない。
(文=溝上憲文/労働ジャーナリスト)