元国税局職員さんきゅう倉田です。毎年、歯茎から血が出るほど納税しています。
税務調査をしていると、トラブルというか、当たりたくない相手というか、ハイリスクローリターンの調査先に出会うことがあります。調査員にとってのリターンは、調査による増差所得、リスクは時間やストレスです。今回は、ぼくの臨場した調査先のなかでも特に面倒だった案件を紹介します。
むかしむかし、ふるさと納税なんて言葉がはやる前、鰻店に税務調査に行きました。
その鰻店は、商店街で30年続いていますが、決して繁盛しているとはいえず、かといって潰れそうというわけでもなく、操業停止点のかなり上、損益分岐点付近を行ったり来たりするような状況でした。
何があったかは知りませんが、調査に入った年の3年前から税理士との契約を打ち切り、単独で確定申告をしているようです。たしかに、それ以来、損益計算書にも貸借対照表にも誤りが見られます。「税務調査をすれば、不正は見つからずとも、否認事項を見つけるのはたやすい」と上司に焚きつけられ、調査に着手しました。
調査の日、朝10時に本店所在地である鰻店に臨場しました。本店所在地とは、法人が本店として登記している場所です。規模の小さい法人なら、多くは事務所と店舗と本店所在地は同一です。代表取締役の住所も同じことがほとんどです。
開店前の鰻店に入ると、漁港に捨てられたヒラメみたいな顔の男が、「社長の◯◯です」と言って出てきて、2階の個室に行くように指示してきました。案内されるわけではなく、行くように指示する。ぼくが階段を上がると、ヒラメ男は後ろからついてきます。不審に思いながらも2階に上がると、「奥の個室です」と言うヒラメ男の声に促され、扉の開いていた突き当たりの個室を覗くと、8人用の円卓に5人の客が座っていました。
うっかり違う部屋に入ろうとしてしまったと思い慌てて踵を返すと、目の前にヒラメ男が立ちはだかっています。「社長、すみません。お客さんがいらっしゃるようです。どっちの部屋でしょうか」とぼくが尋ねると、ヒラメ男はまったく表情を変えずに「今の部屋で合っていますよ。どうぞお入りください」と機械的に言いました。
今思い返すと、少し唇の端が上がっていたような気もします。ヒラメ男は、ぼくが動揺するのを予想していて、自分の予想が当たったこと、未来を予見したことで、ほんのちょっぴりの全能感と優越感を感じ、それが唇に浮き出たのです。