昨年から猛威を振るう新型コロナウイルス。外出自粛が叫ばれ巣ごもりする時間がどうしても長くなる。せっかくゆっくりとした時間が過ごせるのであれば、その時間を有効に使って読書を楽しみたい。
そこでお勧めしたいのが、昨年11月24日に発売された『ロッテを創った男 重光武雄論』(ダイヤモンド社/松崎隆司)だ。八重洲ブックセンターの週間ランキング・ビジネス書で2位(12月1日発表)、丸善丸の内本店ノンフィクションで2週連続1位(12月1日、12月6日発表)、紀伊國屋新宿本店のビジネス書で1位(12月14日発表)、同梅田本店のビジネス書で1位(12月7日発表)と静かなブームを呼んでいる。
重光は大手総合製菓メーカーであるロッテをはじめ、韓国5大財閥の一つ、韓国ロッテの創業者。売上高で10兆円といわれる企業グループを一代で築き上げた立志伝中の人物だ。しかし「私は自慢することが好きではない」と重光自身はメディアに出ることを好まず、その半生は神秘のベールに包まれてきた。
これを解明しようと試みたのが同書だ。著者は重光の親族やロッテの元役員など多くの関係者に取材する傍ら、韓国にも足を運び、重光の足跡をたどったという。ここから重光とはどのような経営者であったのか、少し紐解いてみよう。
「ひかり特殊化学研究所」の設立
重光は1922年(大正11年)に大日本帝国の統治下にあった朝鮮半島の南部、慶尚南道蔚州郡で10人兄弟姉妹の長男として生まれた。生家は地方の両班という地主階層だったが、生活は苦しく、伯父の支援がなければ学校すらまともに行けなかった。そんな重光は日本で勉強することにあこがれ、家族に無断で日本に渡った。このとき重光の手元にあったお金は83円。これは当時の韓国の村役場職員の2カ月分と同程度の金額だったという。
その後、早稲田実業の夜間部、早稲田高等工学校応用化学科に入学した。大学に行きながらも仕事をしなければならない。生活費を稼ぐためにアルバイトした質屋の主人は重光の働く姿に感服し、全財産を重光のために出資すると申し出た。これが商売をやるきっかけとなる。
重光は出資してもらった資金をもとに冷却用オイルの生産を始めるが、戦争で工場は2度にわたって焼失。この逆境が重光の商人魂に火をつけ、終戦後は母国に戻らず金を儲けて老人に恩返しがしたいと一念発起。ロッテの前身「ひかり特殊化学研究所」を設立、新規事業を開始した。
石鹸にポマード、化粧品と時代のニーズにあった商品を製造販売すると、飛ぶように売れた。資金がたまるとこれまで一緒に化粧品をつくっていた仲間から一緒に「ガムをつくらないか」と出資の要請を受けるが、事業が軌道に乗ると彼らが裏切って独立。彼らに対する怒りを事業推進のモチベーションに変え、化粧品事業を中断してガムづくりに専念した。
事業が軌道に乗ると株式会社化し、社名はゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』に登場する兄弟姉妹思いの美しい女性「シャルロッテ」にちなんで「ロッテ」と命名した。
実業家に転身した重光は絶えず業界トップを目指し、業界の常識を覆す奇想天外な経営手法でガム業界のガリバーといわれたハリスを撃破、チョコレート事業進出にも思いをはせた。しかし「チョコレートを制するものは菓子業界を制す」とまでいわれる巨大産業。明治製菓や森永製菓のような大手総合菓子メーカーが市場を握り、とてもガムの専業メーカーが進出などできるような事業ではなかった。
しかし巨大な相手に勇猛果敢に挑むのは重光の重光たる所以。ここでも巨大企業を押し退け業界のトップシェアを手にする。
韓国屈指の財閥へ
重光は政治とも深くかかわっている。日本では岸信介をはじめ福田赳夫、中曽根康弘など歴代総理と懇意にし、ロッテ球団買収は岸の仲介だった。
重光が韓国に初めて進出したのは1958年。当時は在日韓国人が簡単に祖国に投資できなかったことから、弟たちに菓子事業を任せていたが、のちに対立する。一方で日韓国交回復の仲介者として尽力、朴正煕大統領とも交流を深めるようになり、それ以降、全斗煥、金泳三、金大中、李明博など歴代大統領とも親交を深めていく。
重光が再び韓国の地を踏んだのは日本に渡って21年目の1962年。重光は朝鮮戦争で疲弊し最貧国となっていた韓国の姿に衝撃を受け、祖国復興を誓う。
重光が韓国に本格的に進出したのは日韓基本条約が締結されて以降のことだろう。韓国では重化学工業をやりたいと思っていた重光に朴大統領は石油化学、製鉄事業などを提案するが結局、空手形となり、ぬか喜びをさせられる羽目に。3度目の正直とばかりに勧められたホテル事業を皮切りに百貨店、免税店、スーパー、コンビニ、エンタテインメント複合施設などの観光流通産業、石油化学事業、不動産建設事業と新しい事業を次々に展開、韓国の屈指の財閥に育て上げ、2020年1月19日、享年98歳で他界した。
時代の転換点は大きな破壊から始まる。コロナ禍もまた大きな時代の節目といっていいだろう。戦後という波乱の時代を生き抜き、裸一貫から10兆円企業をつくり上げた彼の人生を振り返ることで、ポストコロナの時代を乗り越えるヒントを見つけることができるかもしれない。
(文=編集部)