「ほぼ日」に否定されて、具体的になった
気仙沼の活動も、最初からここまで具体的だったわけではない。きっかけは震災後、さまざまな支援に立ち上がった著名人や一般人との出会いだった。
たとえば「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)を運営するコピーライターの糸井重里氏は、震災の年に気仙沼支社を開設し、インターネットサイト「気仙沼のほぼ日」を発信している。前述の小野寺氏(通称ヤチさん)は、最初に糸井氏をクルマで市内に案内した時、厳しい指摘を受けた。
「ヤチ君ね、ぼくはいろんな土地に行ったけど『風光明媚で、食がおいしい』という街は日本中至るところにあるんだよ」
震災前から、本業のカフェチェーン店運営を通じて地域活動を続ける小野寺氏は、この言葉で「具体性のある体験型訴求」を考え出し、ほかの人たちにも共有されていった。
また、経済同友会が派遣した各企業から出向する実務家との交流も刺激になった。そのなかにはリクルート関係者もおり、気仙沼の情報発信に影響を与えた。前述の「ちょいのぞき」というネーミングも、同社の旅行メディア「じゃらん」を思わせる。
ただし、活動は道半ばで、今年もうまくいったイベントもあれば、集客不振だったイベントもあった。取り組みへの課題と反省も味わいながら、活動を進める。
観光の実績のひとつとなる、気仙沼市の宿泊人数で見てみよう。16年に44万4196人と、平成以降で最高を記録したが、「復興関連宿泊客」が5割近く(47.4%)を占めた。観光客も前年比10%増だが、将来“復興関連需要”が消える前の「今」が勝負となる。
また、「居住人口減少」への対応もある。市の人口は6万5289人(17年6月末現在)で、最盛期(1980年)より約2万7000人減、震災前年より約8000人減った。
「被災後に生活再建のために出て行った人を呼び戻そうとしても難しい。それよりも、支援などで知り合った人や地域と連携して地域を活性化させる姿勢が大切です。気仙沼では、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)との連携も深め、在学生や卒業生に地元企業に就業してもらうほか、教職員との交流も進めています」(阿部氏)
被災地に限らず、ビジネス環境の激変で従来の主力事業を失い、苦境に陥る企業もあるだろう。だが、受け身の姿勢では活路もひらけない。一見、新規事業に見える気仙沼の活動だが、中身を見れば、これまでの活動のリニューアルだ。個別にやっていた活動を「全体最適」の視点で見直し、会社でいえば“全社一丸”に変える工夫も必要といえよう。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)
高井 尚之(たかい・なおゆき/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)
1962年生まれ。(株)日本実業出版社の編集者、花王(株)情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。出版社とメーカーでの組織人経験を生かし、大企業・中小企業の経営者や幹部の取材をし続ける。足で稼いだ企業事例の分析は、講演・セミナーでも好評を博す。最新刊に『なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか?』(プレジデント社)がある。これ以外に『カフェと日本人』(講談社現代新書)、『「解」は己の中にあり』(講談社)など、著書多数。
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