2011年3月の福島第1原発事故を起こした東京電力ホールディングスが柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)を再び運転することについて、原子力規制委員会が厳しい姿勢を一転させ、お墨付きを与えた。10月4日に再稼働の前提となる安全対策が新規制基準に適合していると認める審査書案を了承。同事故後、東電の原発の新規制基準への適合が認められるのはこれが初めてで、柏崎刈羽原発6、7号機は審査合格に向け大きく前進した。見え透いた政治決着とはいえ、業界関係者ならずとも「経緯が経緯だけに、あまりにもひどい茶番」との声が聞こえてくる。
規制委は独立性と透明性を掲げて12年9月に発足。事故対策を強化した原発の新規制基準を策定し、公開の場で原発を審査する。柏崎刈羽原発の再稼働をめぐっては、規制委員会は通常の技術審査に加え、事業者の「適格性」を見極めるという異例の対応を取った。原発事故を起こした東電は「他の会社とは違う」という、田中俊一前委員長の東電に対する問題意識からだ。
「まるで公開処刑だった」7月の意見聴取
「口先だけ」「主体性がまったく見えない」――6月末に東電の新体制が発足して日も浅い7月10日の意見聴取で、規制委の田中委員長(当時)は東電経営陣にこう詰め寄った。委員会を傍聴した記者は「東電の小早川智明社長は顔面蒼白。公開処刑のようだった」とふり返る。
7月下旬には、記者会見の席上で東電の川村隆会長の言動に対して、「私の名前を使って言うのは、はらわたが煮えくり返る」と怒りをあらわにした。川村会長は一部メディアのインタビューで、福島原発事故の汚染水の海洋放出に言及。もちろん、漁連を中心に猛反発を食らい、その後、東電が「田中委員長らの見解と同様という趣旨で放出を決めたわけでない」と火消しに走ったところ、田中委員長の逆鱗に触れたというわけだ。
ところが8月に入り、東電に厳しい姿勢を示していた田中委員長が一転軟化する。遡ること7月10日に規制委は東電を「公開処刑」した場で、「廃炉に主体的に取り組み、やりきる覚悟と実績を示すことができない事業者に、柏崎刈羽原発の運転をする資格はない」と指摘。東電側に文書での回答を求めていた。