そのパナソニックを1987年から20年以上にわたり取材するノンフィクション作家・立石泰則氏が、2月に『パナソニック・ショック』(文藝春秋)を上梓し、同社迷走の原因や内実、そして今後の再建策について綴っている。その立石氏に、
「パナソニック低迷を招いた中村・大坪路線の失敗」
「津賀改革の実情と、立ちはだかる壁」
「パナソニック復活のカギとは?」
などについて聞いた。
–まず、『パナソニック〜』を書かれたきっかけについて教えていただけますでしょうか?
立石泰則氏(以下、立石) デビュー作『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)で、“経営の神様”といわれる松下電器産業(現・パナソニック)創業者・松下幸之助さんでさえコンピュータ時代の到来を予測できずに経営判断を誤り、それが松下グループに苦悩を強いたことを書きました。その後も取材を続け、松下さんの死後、パナソニックの経営がどうなったかを、中村邦夫社長時代の問題点も含めて『復讐する神話』の続編として書きたいと考えていました。
–『パナソニック〜』の中で、パナソニックが2012年3月期に7000億円を超える大幅な赤字となったことについて、「ショックだった」と書かれていますね。
立石 私が初めてパナソニックを取材したのは1987年でしたが、松下幸之助さんの「赤字は社会悪である」という訓示が全社に浸透していて、主要幹部からは利益追求に対する貪欲さが感じられ、さすが“松下商法だ”と感心しました。だから、「経営が苦しくても簡単に赤字になるはずがない」という思い込みが私にはありました。それで「ショックだった」と書いたわけです。ただ一方で、その時点ではまだプラズマテレビの不振を他の分野で補うだけの十分な体力がパナソニックには残されていると楽観視していました。12年3月期決算で7721億円という巨額赤字を計上した後に就任した津賀一宏社長は、赤字計上で「すべてのウミを出し切った」と言ったわけですからね。
しかし、昨年10月には13年3月期の業績予想を、それまでの500億円の黒字から7650億円の赤字へと大幅な下方修正を行いました。つまり、12年3月期決算時点では、まだすべてのウミを出し切ってはいなかったということです。これには本当に驚きました。「津賀社長は、まだ問題の本質を掌握できていない」と思いました。それで、津賀体制の当面の課題は、「パナソニックの苦境を招いた真の原因を、最短距離で突き止めること」だと思いました。
–2期連続でこれほどの赤字になった原因について、どのようにお考えですか?
立石 創業以来パナソニックが持っていた強みのすべてが、弱みになったということです。松下は家電業界最大の系列販売網を持ち、“売る力”が他社よりも圧倒的に優れていました。それが「販売の松下」といわれていたゆえんです。ところが、中村社長時代に系列販売網から大手家電量販店に、その軸足を移しました。つまり、自分の強みを捨てて、他人任せにした。
その結果、“売る力”が弱体化してしまいました。かつて松下さんは、「一つの量販店に依存しすぎるのは危険だ」と警鐘を鳴らしましたが、それが現実のものになった。中村社長時代の「改革」こそが、パナソニックを苦境に追い込んだ元凶だと思いますね。
●中村改革の実像
–本の中では、「自分の後継者に中村邦夫を選んだ、森下洋一元社長の罪は重いと言わざるを得ない」と書かれていますね。
立石 例えて言えば、それまで安全な道を歩いていたパナソニックを、森下さんは経営の方向性を誤り、崖の近くまで連れていった。そして中村さんが、その崖からパナソニックの背中を蹴って落とした。ゆえに、森下さんより中村さんの経営責任のほうが重いといえます。どういうことかというと、森下さんでは「もうダメだ」となったときに、創業者・松下幸之助さんの孫の松下正幸さんを社長にしようという動きがあった中で、森下さんが後継に指名したのが中村さんでした。その中村さんは、3カ年中期経営計画「創生21」(期間:2001年4月~2004年3月)を発表して、最終年の連結売上高約9兆円、連結営業利益率5%という数値目標を掲げました。