あるとき、自動車を買いに来た顧客がディーラーの担当者に次のように尋ねたという。
「この車のエンジンブレーキはどこにありますか」
エンジンブレーキとは何か、そしてその操作方法は自動車の運転免許を取得する際に習うけれど、どこに付いているのかという問いには答えにくい。文字どおりエンジンに付いているようにも思われるが、ギアを低速段に入れたときの特性を活用しているのだから変速機に付いているとも考えられる。辞書を引くと、車輪の回転からエンジンのピストンを動かしたときの圧縮摩擦抵抗で速度を落とすとあったから、車輪とエンジンとに付いていると言ってよさそうだ。顧客は軽い気持ちで聞いたにしろ、なかなか奥深い質問であったことは間違いない。
さて、モーターで動く鉄道の電車や電気機関車にもエンジンブレーキのようなブレーキが存在する。電気ブレーキだ。
回転している車輪のエネルギーを電気のエネルギーに変えて作動させるブレーキと定義されているとはいえ、この説明では誤解が生じやすい。車輪の回転で発電機を動かし、その電気で車輪やブレーキディスクを摩擦力で押さえるブレーキを指すようにも思われるが、このようなブレーキは電気ブレーキではない。前回説明したような摩擦力で止めるブレーキの一種である。
電気ブレーキとは、車輪の回転で生じた電気そのもので車輪の回転を止めるブレーキを指す。大きく分けて2種類ある。
一つは車輪の回転によって通常は走行に用いているモーターを発電機として使用し、そのときに生じる抵抗力で車輪の回転を止める発電ブレーキだ。発電された電気は消費されないとブレーキは効かない。車両が搭載した抵抗器に流して熱として捨ててしまう方式を抵抗ブレーキ、架線に戻して他の列車が加速するのに役立てる方式を電力回生ブレーキという。
もう一つは電磁誘導ブレーキだ。国内では車輪に装着したブレーキディスクの周りに電磁石を置き、電磁石に電気を流すと渦状の電流が発生して車軸の回転を止めようと働く作用を活用したブレーキが実用化されており、渦電流(うずでんりゅう)ブレーキともいう。
海外では電磁石がレールを吸い付ける力を利用する電磁誘導ブレーキも実用化されている。このようなブレーキの場合、電磁石とレールとは接触していない。似たような仕組みとして箱根登山鉄道の電車には、電磁石をレールに触れさせてその吸引力で車両を止める電磁摩擦ブレーキ、またの名を電磁吸着ブレーキが搭載されている。ややこしいが、こちらは文字どおり摩擦力を用いたブレーキなので電気ブレーキではない。
電力回生ブレーキは効き目も強力で省エネ
いま国内の電車や電気機関車に搭載されている電気ブレーキの大多数は電力回生ブレーキだ。発電された三相交流の電力は、普段は加速に用いているコンバータやインバータによって架線に流れている直流か単相の交流に変えられて架線へと戻されていく。電力回生ブレーキを作動させるためだけに必要な機器を搭載しなくてよいし、効き目も強力で、しかも省エネと言うことなしだ。
電力回生ブレーキの効きは強い。今日の新幹線の電車は通常、最高で時速320kmの超高速域から停止寸前まで、摩擦力を用いたブレーキの助けなしで止めている。いま国内で見られる大多数の通勤電車もほぼ同様で、おかげでブレーキシューやブレーキディスクといった摩擦力のブレーキに付きものの消耗品があまり摩耗せず、地球にも鉄道会社の懐にも優しい。
省エネの度合いについては、JR西日本が関西の通勤路線で平均6.4両編成の電車を日中の1時間に4分間隔、つまり15本運転したときのシミュレーションを紹介しよう。同社によると、電車が消費する電力は電力回生ブレーキを用いたときが約2万8000kW時、用いなかったときが約3万9000kW時と約1万1000kW時の差が生じ、およそ28%分の電力の節約に役立ったそうだ。
いま国内を走るほぼすべての電車や電気機関車では、電力回生ブレーキを作動させるためにはブレーキハンドルを操作すればよく、ほかに特別な扱い方はない。電力回生ブレーキと摩擦力を用いたブレーキとの切り替えもブレーキ装置が自動的に行ってくれるのでとても便利だ。
ところが、電気ブレーキのなかで発電ブレーキの操作方法は、1980年代ごろまでに製造された一部の電車や電気機関車では少々異なる。何しろ、ブレーキハンドルではなく、加速用のマスコンで扱わなければならないからだ。
古い電車や電気機関車のブレーキハンドルは、摩擦力のブレーキに必要な圧縮空気を管に込めたり、抜いたりする弁であることのほうが多かった。ブレーキ弁では発電ブレーキを操作できない。モーターを制御する機器はマスコンで操作するので、モーターを発電機に切り換える機能もマスコンに持たせてしまえばよいと考えられたのだ。
モーターのない車両はどうやって止める?
さて、これまでの説明でお気づきのとおり、電力回生ブレーキや発電ブレーキはモーターが付いている車両でしか作動しない。よく、何両も連結した電車のすべてにモーターが装着されているように見えるが、実は10両編成の通勤電車では6両がモーター付きというケースが多く、なかには4両にしかないという例もある。
高速で走る新幹線の電車はモーター付きの車両の割合が高くなる傾向は見られ、実際に九州新幹線用の800系やN700系は全車両に取り付けられた。だが、東海道・山陽新幹線を走る16両編成のN700系、N700S、それに東北・北海道新幹線で用いられるE5系、H5系はともに両端の先頭車にはモーターはない。明治時代から大正期の鉄道では必ずしもすべての車両がブレーキを搭載していなかったと前回紹介した。電力回生ブレーキや発電ブレーキは電車のブレーキとしては一般的な存在だが、やはりすべての車両に付いているとは限らないので、歴史は繰り返すという言い伝えのとおりだ。
それでは、モーターのない車両ではどのようなブレーキを作動させるのであろうか。かつては摩擦力を用いたブレーキをかけていた。それから、山陽新幹線を走る700系という車両は電磁誘導ブレーキの一種である渦電流ブレーキを作動させている。けれども、強力な電力回生ブレーキはモーターのない車両の分のブレーキ力を補って余りあり、いまでは何のブレーキをもかけず、停止間際のわずかな間だけ摩擦力を用いたブレーキに頼るという例がほとんどとなった。
電気ブレーキにも弱点
欠点の少ない電気ブレーキにも弱点はある。非常時に作動させ、効き目も通常のブレーキよりも強めな非常ブレーキには採用されづらいという点だ。それでも、発電ブレーキは比較的動作が確実なので、摩擦力を用いるブレーキと組み合わせて非常ブレーキとなっていた。
しかし、電力回生ブレーキは摩擦力のブレーキと組み合わせて非常ブレーキとなることすらほぼない。電力回生ブレーキは近くに電気を消費する他の電車がいないと作動しないからだ。架線に戻された電気が最終的に向かう変電所に抵抗器を置いて万全を期したところも見受けられる。しかし、確実性を求めるため、非常ブレーキは摩擦力のブレーキだけで作動させるケースがほぼすべてだ。
今日の新幹線の電車の非常ブレーキも摩擦力を用いたブレーキだけが用いられている。新幹線の変電所には抵抗器が設置されたところもあり、非常時には摩擦力のブレーキと組み合わせられれば、いまよりも強力なブレーキで停止させられるはずだが実現していない。
というのも大地震が起きたとき、新幹線では架線への送電を即座に止め、列車が自動的に停止できるシステムが採用されたからだ。せっかく電車で発電された電力も、架線が停電していて流れる先がなければ、何にもならない。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)