廃業に追い込まれる中小企業が激増…M&Aに申し込み殺到のワケ
でも、ローンを完済したときは正直、「目的を果たした」という実感はなかったです。のちに両親に新しい家を建ててあげたのですが、そのとき「これでようやく一区切りだ」と思いました。
この先、「これをしてあげればよかった」と後悔しないくらいのことはできたかなと思っています。両親から「本当にありがとう」と言われたときは、とてもうれしかったです。
M&A事業で「Happy Life(ハッピーライフ)」を創出する
――長年思い続けてきた「家族を助ける」という目的を果たし、畑野氏はM&Aアドバイザリー事業に乗り出すことになる。それまでのネット型リユース事業とは大きく異なる事業に取り組むことになった経緯は、どのようなものだろうか。
畑野 M&Aというものがあることは、10代の頃から知っていました。M&Aを日本で最初に始めたのは、父親が勤めていた山一證券なんです。当時、父親からは「就職に困ったら、お前をM&Aの会社に入れる」「だから、財務だけはしっかり勉強しておけ」と言われていました。
それと、家族が集まるとよく経済の話をしていたのですが、それもM&A事業を始めた要因のひとつでした。「人口動態がどうだ」「日経平均はどうだ」といった議論を家族間でしていたので、それで日本市場の実態を把握していったのです。そのなかで、事業承継のM&Aは圧倒的な実需と市場規模があり、「参入口はあるだろう」とM&A事業の立ち上げを具体的に考えるようになったのです。
ただ、もっとも大きな決め手になったのは、私が予想していたよりもはるかに多くの需要があることを実感したからです。
もともと、株式会社FUNDBOOKのM&Aアドバイザリー事業は前身となる会社の一事業部門でした。ところが事業を始めたところ、お申し込みをいただいたり話を聞いてくださったりする方の数が想定を大きく上回ったのです。
当初は「年内に4件程度決まればいい」と思って立ち上げたのですが、あっという間に20件以上の成約をいただくことができました。これは、私の想定の5~6倍でした。また、社会的に解決されていない問題に対する事業に共感してくれるメンバーが多くいたことにも、背中を押されました。
メンバーが共感してくれて、人も集まってくれる。実際に活動すると、たくさんのお申し込みをいただける。この実態を見て、「この事業は一部門として、サブで置いておく事業ではない」と痛感したんです。私自身、会社の「廃業」によって苦しんだ経験がありましたから、あらゆる面でたどり着くべきところにたどり着いたという感じですね。