桐ダンスの名工だった父親が販売で苦労しているのを目の当たりにした勝久氏が、「どうすれば職人の技術を評価してもらえるような販売ができるのか」を試行錯誤して、お客との対面販売のなかで商品の良さを伝えていく販売方法に到達、そこから創業したのが大塚家具センターだった。
その後、93年には会員制を導入して「実売価格表示・値引き販売」を行い、これが評判になった。その後は顧客本位のサービスが評価され、“高級家具の大塚家具”というブランドを確立した。
しかし、デフレが続くなかで経営が低迷。その後、社長に就任したのが娘の久美子氏だった。
久美子社長は合理化を行い短期間で経営を立て直したが、その後、経営方針をめぐって勝久氏と対立、2014年7月に社長を解任された。ところが、15年1月には再び久美子氏が社長に復権。父と娘の本当の闘いが、ここから始まった。
久美子社長は「脱同族経営」「コーポレートガバナンスの強化」を掲げ、社外取締役を積極的に起用するなど時代に合った新しい経営を提唱。さらに、中期経営計画には17年度の売上高594億円、営業利益19億円、当期利益14億円という目標を掲げて、15年度から3年間の配当予想が14年度の40円から80円と2倍に拡大する見通しを明らかにした。そして、15年3月の定時株主総会で勝久氏を排し、経営の実権を握った。
その後、「大感謝祭」などの大規模なセールを繰り返し、なんとか売り上げを伸ばしたが、たび重なる値引き戦略のなかで顧客の関心が薄れ、16年に入ると売り上げが大幅に減少し46億円の営業赤字に転落した。17年に入っても大幅な売り上げ減少が止まらない状況が続き、2期連続での赤字になる見通しとなっている。
ちなみに、この2年間で売り上げが前年同月を上回ったのは、16年4月の102.1%(その前年は前年同月比82.5%)、17年3月の100.5%(同88.2%)、17年6月の104.8%(同61.9%)、17年7月の100.5%(同91.1%)だけだ。売り上げが下げ止まらないのが現状だ。
「久美子社長は現場を知らない」
それはなぜなのか。
「久美子社長は現場を知らない。だから、指示は場当たり的で現場のオペレーションがメチャクチャになってしまった。これでは売れるものも売れない」
元社員はこう語る。そのため、社員が次々に退職し店舗の販売力が低下した。一方で、在庫負担は拡大した。