2025年までに、スズキが電気自動車(EV)に参入することを決めた。優先度の高いターゲット市場は、同社がトップシェアを持つインド市場だ。インドで電動車の供給体制を強化することは、スズキがより多くのビジネスチャンスを手に入れるために重要だ。
その背景には2つの要素がある。まず一つは、安全保障面でインドは米国や日本との関係を重視していることだ。近年、インドと中国の関係は悪化してきた。インドにとって、スズキの技術力を生かして自動車の電動化を進めることは経済安全保障のために重要だ。もう一つは、インド政府はEV化を進めたいが、それが容易ではない。当初2030年の完全EVシフトをインド政府は目指したが、のちに取り下げた。その背景には、電力供給などへの不安があるだろう。
長期的視点で考えると、スズキは自動車の電動化に加えて、それに必要なインフラ整備などの面でもインドの需要を取り込む可能性がある。同社が資本提携を結んだトヨタは、社会インフラの観点から自動車のイノベーションを目指している。電動化という自動車産業のゲームチェンジが進むなか、よりスピーディーにスズキが電動車の供給体制の確立を目指す意義は大きいだろう。
足元のスズキの事業展開の評価
2021年4~6月期、前年同期比で見た日本主要企業の業績は、製造業および海運や総合商社などを中心に回復している。それは重要なことなのだが、新型コロナウイルスの感染再拡大などの影響が深刻ななかで各社の稼ぐ力がどう変化しているかを確認するためには、2019年4~6月期と2021年4~6月期の業績を比較することも必要だ。
その基準でスズキの業績を確認すると、2021年4~6月期の売上高は前々年の同期比で6.9%減、営業利益は同13.1%減少した。業績回復は道半ばだ。その主な要因として、2021年3月から5月にかけて、スズキにとって最重要市場であるインドで新型コロナウイルス感染が急増し、四輪車の需要が落ち込んだ。特に、5月はインド政府が工業用の酸素を医療用に提供するよう企業に指示し、スズキはそれに従って工場やサプライヤーが用いる酸素を提供した。その結果、生産ラインが一時停止した。2021年4~6月期、インドにおけるスズキでの販売台数は2019年4~6月に比べ19.7%減だった。
その一方で、2021年4~6月期、インド市場で第2位の韓国現代自動車の販売台数の減少率は2019年4~6月比で約8.6%にとどまった。2020年のインド自動車市場でスズキのシェアは47.7%と50%を下回った。そのため、主要投資家のなかにはインド市場で現代自動車がスズキをより猛烈に追い上げ、スズキの成長が鈍化するとの懸念がある。
近年、インドの新車販売市場での競争は激化している。インドは世界第2位の人口大国(約13.7億人)であり、2027年には中国を上回り世界第1位の人口規模に達すると予想されている。中長期的な自動車需要の増加を期待して新規参入者は増加し、先行者利得が徐々に低下するのは自然な流れだ。
また、報道内容をもとに考察すると、5月のスズキと現代自動車の実績の差は操業停止期間の差が大きく影響した可能性がある。技術面やブランド力などの差とは考えづらい。翌6月のスズキ、および国内自動車メーカーのインド市場での売り上げ実績は、米欧韓などの競合他社を上回った。インド市場でのシェア挽回に向けてスズキに求められるのは、他社に先駆けて電動化などを進めて需要の獲得を目指すことだ。
スズキがEVシフトに取り組む意味
他方、世界の自動車産業では、CASE(ネットとの接続、自動運転、シェアリング、電動化)への取り組みが進み、脱炭素への対応も急務だ。トヨタやフォルクスワーゲンはインフラ面から自動車の新しい利用方法を世界に示して、成長を目指そうとしている。スズキがそうした変化に対応してインドでEVなどを供給することは、同社のさらなる成長を支えるだろう。そう考える背景には2つの理由がある。
まず、インドが直面する地政学リスクだ。本年1月には、インド政府が中国のTikTokなどのアプリの禁止を恒久化する方針を出した。8月に入るとインド政府が日米豪印による共同訓練を昨年同様に実施する方針を明らかにした。
世界経済はデータの世紀を迎え、ビッグデータは付加価値の源泉であり、安全保障上の重要性も高まる。それは、中国政府が滴滴出行(ディディチューシン)への締め付けを強化したことが示す。インド政府にとって、安全保障面で重要性が高まる日本の企業であるスズキによるEVの供給は、自動車の社会機能の向上を実現しつつ、安全保障体制を強化するために重要だ。
次に、世界的に加速する脱炭素への取り組みにもインドは対応しなければならない。インドの発電量の7割が石炭由来だ。急速なEVシフトは電力需要のひっ迫や再生エネルギー導入などのコストを増加させ、短期的に経済にマイナスとなる恐れがある。それに加えて、EVシフトによって自動車生産はすり合わせ型からユニット組み立て型にシフトし、一部の雇用が失われる恐れもある。インドのガドカリ陸運・幹線道路相が米テスラに対して、「組み立てではなく、バッテリーなども含めたEV生産を行うのであれば中国よりも低コストでの事業運営をサポートする」と述べたのは、安全保障に加え雇用への影響を抑えたいからだ。
スズキには、軽量、小型、かつ安全な自動車を生産するモノづくりの力がある。インド自動車市場でのシェアもスズキの強みだ。インド政府の支援を積極的に取り付け、さらには他社とのアライアンスを強化することによって、スズキがインドのEV需要を獲得することは可能だろう。
重要性高まる電動車供給の能力増強
スズキに期待したいのは、小型エンジン車と電動車(HV、PHV、EV、FCV)のプロダクトポートフォリオを整備し、インドの消費者に多様な選択肢を示すことだ。そのために同社は、内外の自動車メーカーやEVのバッテリー、駆動モータなどを生産する企業、IT先端企業との連携を強化しなければならない。
その上で、スズキは、自動車のプロダクトライフサイクル全体を通した温室効果ガスの排出量のライフサイクルアセスメント(LCA、製品の生産、輸送、利用、廃棄・リサイクルを含めた環境負荷の評価)の確立を目指すべきだ。自然環境やインフラ整備状況、自動車の利用方法などは各国で異なる。中長期的な経済成長が期待されるだけでなく、市場規模も大きいインドにおいてスズキが小型エンジン車と電動車の全方位でLCAの基準を確立し、消費者の需要を取り込むことは、EUが主導権を狙う世界のEVのLCA規格に待ったをかけることになるはずだ。
欧州委員会は自動車のLCAの評価方法の策定を進め、2024年7月から車載バッテリー生産による二酸化炭素排出量の申告が義務付けられる予定だ。それを念頭に、独フォルクスワーゲンは洋上風力発電にも取り組み、得られた電力でバッテリーやEVを生産しようとしている。つまり、欧州委員会のLCAはドイツなど域内自動車メーカーのEVシェア獲得を目指す戦略だ。欧州が世界に先駆けてLCAを導入すれば、米国や中国がその規格をフォローし、日本の自動車産業は不利な状況に立たされる恐れがある。
中長期的な自動車需要の増加が期待されるインドで、車両性能と二酸化炭素排出量の両面でスズキが競争力ある電動車の供給体制を確立すれば、その技術を需要する国、消費者は増えるだろう。それは、日本の自動車産業が国際規格の確立を目指すことにつながる。口で言うほど容易なことではないが、スズキが前例にとらわれることなく自動車の電動化に関係する企業やインド当局などとの協働を進め、インドの消費者が欲しいと思う電動車の供給体制を迅速に確立することを期待したい。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)