「会話を隠しどり(録音)されるとなると、恐ろしくてトップとの会見は設定できなくなりますね」(関西系のトップ企業秘書)
デサント側には「劇場型M&A(合併・買収)」を得意とする、元ジャーナリストの経営コンサルタントが“軍師”としてついている。マスコミ操作に長けた、この人物の手腕により世評は一時、「伊藤忠商事(岡藤正広会長兼CEO)の“圧政”に立ち向かうデサント」となったが、「週刊文春」(文藝春秋)に『伊藤忠のドン岡藤会長の“恫喝テープ。デサント社長に「商売なくなるで」』という暴露記事が掲載され、デサント創業者一族の石本雅敏社長に対する経済・産業界の見方は厳しいものになった。
6月25日、東京・青山の伊藤忠を、デサントの石本氏と三井久取締役常務執行役員が表敬訪問した。伊藤忠側は岡藤氏と小関秀一専務執行役員・繊維カンパニープレジデントが応接した。この時の面談の一部始終を収めた音声データが流出したのだ。
デサントの関係者によると「石本社長は『週刊文春』の記事が出て、音声テープが流出したことに対する批判、批難があまりに多かったので、『軽率だった』と悔やんでいた」という。
トップ同士の会談の内容を事前に了解を得ず、秘かに録音するのは、総会屋や悪徳弁護士、経営コンサルタントなどがやる手口だ。ましてや表敬訪問なででは考えられないケースだった。敵対している同士ならまだしも、石本氏は年1回、決算報告を兼ねた表敬訪問していたという。
石本氏の社長就任以来、デサントとの関係はぎくしゃくしていたが、まさか会話の内容を隠し録りして、それがマスコミに流れるとは岡藤氏は夢想だにしていなかっただろう。
伊藤忠は18年3月期末時点で、デサントの発行済み株式の25.0%を保有する筆頭株主。持ち株の比率は7月6日に26.0%、8月27日に27.7%へと高まった。
デサントはワコールホールディングス(HD)と8月30日、業務提携した。ただ、ワコールHD側は、伊藤忠の防波堤となる「ホワイトナイト」(白馬の騎士)と報じられたことに戸惑い、「資本関係を結ぶことはない」(安原弘展社長)と否定した。
10月15日、伊藤忠はデサント株をさらに買い増して29.8%になったとする大量保有報告書を近畿財務局に提出した。この買い増しは、デサント側には事前に連絡していない。伊藤忠は保有比率が3分の1を超える場合のTOB(公開買い付け)や買収は「現時点では考えていない」(同社幹部)としている。それでも、ほかの株主と連携すれば19年6月の株主総会でデサントの現経営陣の再任に揺さぶりをかけることは可能だ。
デサントは同業他社のアシックスや国内の投資ファンドなどにデサント株を持ってもらうよう働きかけたが、はかばかしい結果になっていない。「音声テープ流出のネガティブな反応」と解説する銀行関係者もいる。
伊藤忠のテコ入れでV字回復
デサントは1935年、石本雅敏社長の祖父、石本他家男(たけお)氏がグローブなど野球関連商品を製造、販売を開始した。その後、野球用のニットのユニフォームを開発し、68年にプロ野球・中日ドラゴンズが採用したのを皮切りに、多くのプロ野球チームなどに供給してきた。
64年、ワンポイントのロゴを入れたゴルフウェアのマンシングウェアを発売した。これがワンポイントブームの火付け役になった。その後、84年にマンシングウェアの過剰在庫から1回目の経営危機となった。この時は伊藤忠から派遣された役員の手腕で、水泳のアリーナ、テニスのルコック、さらにサッカーのアンブロなど、世界のスポーツウェアの有名ブランドのアジア市場における商標権を獲得し、失地を回復した。
98年、創業以来最大の危機がデサントを襲った。ドイツのスポーツ用品メーカー、アディダスが同年、日本法人を設立するのに伴い、デサントはライセンス契約の打ち切りを通告された。それまでデサントはアディダスの国内での企画、販売を一手に引き受けていた。当時、1000億円の売り上げのうちアディダス製品は、およそ400億円。利益の8割を占めており、これを失う痛手は大きかった。
デサントの創業家2代目の石本恵一(よしかず)会長(当時)は、伊藤忠の全面支援を受け2回目の危機を乗り切った。そして、2002年、伊藤忠は常務の田尻邦夫氏をデサントの社長に送り込み、田尻氏は改革を断行した。さらに07年、伊藤忠常務執行役員の中西悦朗氏がデサント社長に就いた。08年には伊藤忠の持ち分法適用会社となり、関係を強化。伊藤忠は、その後もデサント株の買い増し、発行済み株式の25%を保有するに至った。
デサントのクーデター
だが、13年6月の首脳人事でデサントと伊藤忠の間に亀裂が走った。6年間陣頭指揮をしてきた中西氏が会長にも相談役にも就かず完全に引退。後任の社長には創業家3代目の石本雅敏常務が昇格した。
石本氏の社長就任は同年2月22日に内定、公表された。社長交代は新旧の社長が揃って会見するのが普通だ。ましてや創業家出身の社長の登場とあって、話題性も十分だった。だが、発表はA4判の資料2枚のみ。中西氏の処遇は「退任」とのみ書かれていた。この時点でデサントと伊藤忠の不協和音が内外に知れ渡った。
12年末に伊藤忠とのパイプ役だった創業家2代目の石本恵一氏が亡くなったことが大きく影響したとみられている。「伊藤忠の支配強化に不満を持つ生え抜き役員たちによる、創業家3代目の雅敏氏を担いだ“クーデター”」と業界では囁かれた。
以来、石本雅敏社長体制の下、デサントと伊藤忠の関係は悪化の一途を辿っている。石本氏を支えるプロパーの役員たちは、先代から役員として仕えている。役員全員が社長より年長だ。石本氏は、“子飼いの役員”がいないことから孤独感を深めている、との情報もある。
漁夫の利を狙って、「物言う株主」である香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントがデサント株を2~3%(推定)取得して参戦してきた、という情報も流れている。
タイムリミットは、19年6月の株主総会の招集通知を出す前となる。伊藤忠はデサントを買収する気はない。石本氏が経営トップとして現状をどう判断するかにかかっている。
そんななか、石本氏に軟化の兆しがある。商社無用論を唱えていた同氏が、18年11月8日付朝日新聞(大阪版)の単独インタビューで「どの会社とも関係を悪くしたいとは思っていない。商社との付き合いはビジネスをしていくうえでとても大事だ」と軌道修正した。
19年2月までに石本氏と小関氏は会談を開き、伊藤忠が求める事業見直しについて話し合うことが予想される。こうすれば全面衝突は回避でき、岡藤氏も振り上げた拳を降ろすことができる。
岡藤氏には三井物産の飯島彰己会長の後任として、経済団体連合会(経団連)副会長就任の流れができつつあるが、ビジネスとは別の話だ。「デサントを良くする自信があるから、いろいろ言っている。韓国一本足(税引き後利益の9割がデサント韓国)ではなく、中国などに販路を広げるべきだ。中国事業ではウチが全面協力する」と述べている。伊藤忠の繊維部隊の“ドン”といわれる岡藤氏は、安易に妥協することはないだろう。
創業家の経営者の弱点は、周囲にイエスマンしかいないため、「こうすれば、戦いが有利になります」と自信を持って進言してくれる外部の人間に頼る傾向があるという。
だが、これが思わぬ盲点になることもあるから経営は難しい。
(文=編集部)