今年も12月に入り、ベートーヴェンの『第九』の時期となり、日本全国のオーケストラで盛んに『第九』が演奏されています。ヨーロッパのいくつかの街のオーケストラでも、年末恒例の『第九』が演奏されています。しかし、どこでも“第九=年末”というわけではありません。僕が副指揮者を務めた米ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団では、特段12月に演奏するということもなく、首席指揮者を務めたフィンランドのオーケストラでも夏に演奏したくらいです。やはり「12月の第九」は、日本ならではの習慣といえるでしょう。
以前にも本連載で書きましたが、日本でオーケストラが12月に『第九』を演奏するのは、日本のオーケストラの創生期における“お金の苦労”が深く関わっています。
第二次世界大戦後まもなく日本では、オーケストラ活動が本格的になってきましたが、まだまだ西洋音楽なんて知られておらず、演奏会をしようにも赤字が増えるばかりで、オーケストラの台所はいつも火の車でした。
そもそも、オーケストラは経済的に富を得ることができる団体ではありません。プログラムによっては、100名近い演奏家に給料を支払いながら、指揮者や著名なソリストに高額な出演料を支払うことになります。さらに、超人気のある東京都内ど真ん中のコンサートホールであれば賃貸料金は100万円を超えますし、チケット販売経費、広報代、楽譜代、人件費などを加算していくと、いくら2000席のホールが一杯になっても赤字になってしまうことがほとんどです。
それならば、入場券を高くすれば解決するように思われるかもしれませんが、高額なチケットを買ってまでコンサートに来てくれる観客は数が限られてくるので、空席が目立つ結果となり、むしろ総収入が減ってしまいます。そこで、オーケストラはスポンサーを付けて活動していくことになります。
このスポンサーですが、音楽の本場のヨーロッパでは国や自治体となり、経済大国アメリカでは企業や富裕層の人たちの寄付に頼ることになります。一方、日本では、NHK交響楽団や読売日本交響楽団のように財政基盤がしっかりした母体がある場合や、東京都交響楽団や京都市交響楽団のように自治体が支えているケースもありますが、スポンサーや文化庁、自治体の援助を得ながらも、それだけでは足りず、自分たちでも稼いでいかなくてはならないオーケストラが大多数です。
そんなわけで、チケットを購入して来場していただくことが、オーケストラにとってはなによりのサポートとなるのです。皆様も、コンサートにお越しくだされば幸いです。
今年の『第九』は例年と何が違う?
話を戻すと、年末にお金に困った創生期の日本のオーケストラが目をつけたのが『第九』だったのです。日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)が戦後まもなく『第九』を演奏したのが、「12月の第九」の始まりといわれています。
日本は、世界的に見てもアマチュア音楽活動が盛んな国で、特に合唱団はアマチュアであっても高いレベルです。オーケストラは、プロの合唱団や音楽大学合唱団とも演奏していますが、優秀なアマチュア合唱団と一緒に人気ある『第九』を演奏するスタイルが、現在まで一般的に続いています。しかも合唱団のメンバーは、出演料を受け取るどころか、むしろ参加費を払い、ときには自分たちで主催してオーケストラに出演料を支払うこともよくあるのです。
そんな年末恒例の『第九』ですが、今年も昨年に引き続き、中止せざるを得ないケースもあります。アマチュア合唱団は、いくら優秀でもしっかりと時間をかけて練習をする必要があります。大概の合唱団は、夏が終わったあとの9月頃から毎週のようにリハーサル室に集ってプロの声楽家の指導のもとで練習に励むのですが、今年はこれがネックになりました。
それは、新型コロナウイルスの影響で、9月末まで緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が継続されることになったからです。練習が開始できなくなっただけでなく、新型コロナはやっかいな感染症だけに収束時期も不透明なので、合唱団が早々に中止してしまったという話を、いろいろなところで耳にします。
オーケストラのほうも、合唱団が必要ないオーケストラ曲に急遽差し替えたり、4名のソリスト歌手をキャンセルしたり、コンサート自体を中止したりと、てんやわんやだったと思います。しかし、皮肉にも現在の感染状況の落ち着き具合を見ると、「実際には開催できたのではないか」と、悔しい思いをしている方も多いと思います。
そのようなわけで、昨年も今年も、練習時間の制約がないプロの合唱団が大忙しになっているようです。たとえば、九州のオーケストラが東京のプロの合唱団を招聘するなど、以前では考えられなかったと思います。
なぜ日本では12月に『第九』が根付いたのか
ところで、ずっと疑問に思っていたことがあります。確かに、『第九』はベートーヴェンの最高傑作です。僕も指揮をするたびに、毎回特別な思いを持ちますし、大感動します。しかし、日本では西洋音楽がそれほど知られていなかった戦後まもない頃に、なぜ日本交響楽団は『第九』を演奏したのでしょうか。そして、「今後もこれはいける」と確信できるほどの大成功を収めたのでしょうか。
その答えのひとつとして、第二次世界大戦中の学徒出陣がかかわっているという説があります。戦時中の1943年12月、大学卒業を繰り上げて戦地に赴く学徒たちの壮行会で演奏されたのが、『第九』のなかの「歓喜の歌」だったそうです。大戦中は、アメリカ音楽は“敵国音楽”として禁じられていましたが、ベートーヴェンはドイツ人、つまり同盟国の作曲家なので大丈夫だったのでしょう。その後、終戦を迎えて生き残った学生たちが、亡くなった仲間を追悼するために、出陣壮行会と同じ12月に再び『第九』を演奏し、それが定着したというのです。
『第九』の歌詞の一部、「Alle Menschen werden Brüder」(すべての人類は仲間となる)は、敵も味方もない、戦後のすべての人々に響き渡ったのでしょう。これは、今もなお大事なメッセージだと思います。