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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

あの名曲、本当のオリジナルは完全に別物!長年培われた印象を根底から覆す大発見

文=篠崎靖男/指揮者
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修復前のヨハネス・フェルメール『窓辺で手紙を読む女』(「Getty Images」より)

 17世紀に活躍し、現在は展覧会を開けば大人気のオランダの画家といえば、「ヨハネス・フェルメール」と即答できる方も多いと思います。そんなフェルメールの現存する作品は、たった35点程度といわれており、それも世界中の美術館に散らばっているので、なかなか見る機会が限られている幻の画家です。

 フェルメールが活躍していた頃のオランダは、絵画の巨匠たちがあふれかえっている時代です。それまでのヨーロッパでは、絵といえばキリスト教の宗教画ばかりでしたが、宗教革命が起こり、プロテスタントが主流となったオランダでは、宗教画の需要はなくなってしまいました。

 プロテスタントではキリスト以外の聖人を認めておらず、聖母マリアでさえ“キリストの母でしかない”という位置づけであり、キリスト自体の絵画や彫像もあまりないので、これまで宗教画を描いて生計を成り立たせていた画家たちは仕事にあぶれてしまいます。そこで、貴族やお金持ちの商人たちから肖像画などの依頼を受けて生計を立てることにしたのです。

 これが、フェルメールやレンブラントなどが活躍した17世紀のオランダに肖像画が多い理由です。ちなみに、この時代のオランダはとても裕福で、パトロンとなって肖像画を描かせる商人がたくさんいました。その背景には当時、鎖国していた日本がオランダとだけは出島を通じて貿易をしたこともあるそうです。江戸時代には、世界の銀の産出量の3分の1を掘り出していた石見銀山の銀がオランダに流れており、オランダは莫大な利益を得ていたのです。

 そんななかフェルメールは、15人も子供を産んだ妻の大金持ちの母親から援助を受けたり、自分自身も父親の家業を引き継いで酒場兼宿屋を経営したりして、それなりに稼いでいました。晩年には困窮するもののパトロンにも恵まれ、年に2~3枚の絵をじっくりと、大変高価な絵の具を使いながら好きに描くことができたのです。

 そんなフェルメールの傑作に、『窓辺で手紙を読む女』があります。この絵画は、ドイツのザクセン王の所有物になったのち、数奇な運命をたどります。第二次世界大戦中には、絵画好きなヒトラーにより戦禍を逃れるためにスイスに隠されます。戦後、ソビエト軍に接収され、ずいぶんたってからドイツに返還されました。

 このような歴史に翻弄されましたが絵の内容は、簡素な部屋の窓辺で若い女性が手紙を読んでいるだけです。部屋の壁も、絵一つ飾っていない茶色くすすけた白壁で、この女性の身分や生活レベルを感じさせます。そんな女性が真剣に読んでいる手紙は、どのような内容なのかと、想像力をかきたてられる名画でした。

 道ならぬ恋をしている女性が人目を避けて、装飾もないような貧しい自室で密やかに、恋人からの手紙を読んでいるのではないかとか、最近ぱったりと連絡が途絶えた身分が違う相手から、まだ愛されていた頃にもらった手紙を、一縷の望みをつないで読んでいるのではないかなどと想像を膨らますことができたのも、この貧しささえ感じさせる白壁のおかげでした。

「名画でした」「白壁のおかげでした」と過去形で書きましたが、もちろん、今もなお名画であることに変わりありません。しかし、この女性に独特な印象を与え、鑑賞者の想像力を高めていたすすけた白壁は、どうやらフェルメールが死んだあとに、誰かによって上塗りされたものであるということがわかったのです。

 そこで、3年ほど前から修復作業を始めたところ、今年になって大きなキューピッドの絵が現れ、世界中の絵画ファンをあっと言わせる大事件となりました。しかも、このキューピッドは、放たれた相手が瞬く間に恋に落ちてしまう魔法の矢を持っていたことから、この絵は“若い女性がラブレターをもらい、心ときめきながら恋に落ちていく話”のように見えてきます。不倫や恋人に飽きられた哀愁の女性の姿ではなく、これから始まる幸せな恋愛の時間すら感じるのです。

 しかし、幸せな恋愛よりも、秘められた恋のほうが興味を湧かせられますし、むしろ「白壁のほうがよかった」と思う人も多いのではないかと思います。

オリジナルの楽譜の発見で、イメージが覆された名曲

 オーケストラ曲にも、似たようなエピソードがあります。

 それはドイツロマン派の巨匠・メンデルスゾーンが作曲した『ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲』です。普通の協奏曲は、ヴァイオリンのみか、ピアノのみに対してオーケストラが伴奏するのですが、この曲は変わっていて、花形楽器を2つとも揃え、しかもオーケストラは弦楽器のみです。管楽器や打楽器が入った派手派手しい協奏曲が通常のなかで、弦楽器のみの特殊なオーケストラ編成によって、素朴で落ち着いたサウンドを醸し出し、長い間、多くの観客を楽しませてきました。

 またもや、「楽しませてきました」と過去形で書きましたが、この曲にもフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』と同じような大発見があったのです。伴奏は弦楽器だけだと思われていましたが、管楽器や打楽器の楽譜が発見されたのです。それにより、ソリストだけが弾いていると思っていた場所にフルートのソロが加わるなど、最初から最後まで、まったく違い、むしろ派手な印象の音楽になりました。1823年に作曲され、その後、不完全な姿で演奏され続けてきたこの名曲が、1999年になって“本当の姿”で演奏されたのです。

 とはいえ、その後も弦楽器だけで演奏することが多いのです。もちろん、新しい発見を知らない方もいらっしゃるとは思いますが、ピアノとヴァイオリンと弦楽オーケストラのサウンドを頭にインプットしてしまっている方が多いので、今さら変えることができないからなのかもしれません。また、弦楽器のみのオーケストラにとっては、管楽器や打楽器が要らない貴重な協奏曲でもあります。むしろ、管楽器・打楽器の楽譜など発見されないほうがよかったのかもしれないという点は、フェルメールの絵画と同様でしょう。

 ちなみに、僕が初めてこの協奏曲を指揮したのはフィンランドのオーケストラでした。その際、発見されたばかりの管打楽器が入ったオリジナルで演奏したこともあり、僕の場合は、弦楽器のみのバージョンでは音がいっぱい抜けているように感じてしまうのです。

 余談ですが、修復が完了したフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』は来年1月22日から東京都美術館(上野公園)で開催される「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」において、来日公開されるそうです。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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