明けましておめでとうございます。今年も“篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」”をよろしくお願いします。
日本のお正月といえば、初詣をして、家に帰ってお屠蘇を飲み、おせち料理をつまみながら、子供にお年玉をあげるというイメージですが、音楽家の僕としては、ひとつだけ足りないものがあります。
それは音楽です。12月に入ればコンサートホールではベートーヴェンの『第九』が演奏され、街中ではクリスマス・ソングが流れますし、大晦日ともなれば『輝く!レコード大賞』(TBS系)、『NHK紅白歌合戦』など音楽が満ちあふれますが、元旦を迎えた日本は急に音楽がなくなってしまいます。もちろん、雅楽などがお正月を彩りますし、普段耳にしない日本の伝統音楽に耳を傾ける良い機会ではありますが、それにしても音楽が極端に少なくなるというのが、音楽家の僕にとっての新春のイメージなのです。
“新春コンサート”と銘打ってコンサートを行うオーケストラもありますが、やはりオーケストラ楽員も日本人としては、お正月はお休みしたいのが心情です。東京の主要コンサートホールのスケジュールを調べても、元日には何もやっていないようです。
そんななか、サントリーホールだけは三が日、恒例のウィーン・フォルクスオーパー交響楽団が来日してニューイヤーコンサートを予定していました。ヨーロッパではクリスマスに比べて新年は重要ではないので、日本に行って一稼ぎというわけですが、今回、日本政府による「水際対策措置の強化」のために入国が困難な状況となり、中止となってしまったようです。
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のメンバーは、今年の新春はウィーンの自宅で過ごすことになりましたが、このオーケストラはウィーン・フォルクスオペラ所属なので、ウィーンの新春恒例オペラ、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇『こうもり』の上演のために、代わりに仕事をすることになった楽員も多いでしょう。
そんな元日ですが、クラシックファンのみならず、クラシックに興味がなくても毎年、テレビで観る方も多いウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートは今年も開催される予定です。テレビの音量をいつも以上に上げて、ぜひ今年の元日はクラシック音楽で祝ってください。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート、締めはヨハン・シュトラウス親子
このニューイヤーコンサートは変わった演奏会で、プログラムはモーツァルトやベートーヴェンではなく、ほとんどがウィーンのワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカ、19世紀に大ブームを起こしたダンス音楽です。ヨハンは自分専属のオーケストラの前で自らもヴァイオリンで演奏しながら指揮をするスタイルによって当時のウィーンの寵児となりましたが、音楽家になるまでは同じく人気作曲家であった父親(ヨハン・シュトラウス1世)のせいでとても苦労しました。
父親も自分の楽団を持っているくらい大スターでしたが、子供に音楽をさせることには大反対でした。自分も音楽家だけに、成功よりも失敗する音楽家のほうが遙かに多いことをわかっていたからです。それだけではなく、暴力も振るうほどかんしゃく持ちで、ヨハンがこっそりと弾いていたヴァイオリンを奪い取って、たたき壊すほどでした。
そんななか、ヨハンに転機が訪れます。それは、父親が女好きだったことが原因でした。父親が若い愛人をつくり、お金を家にも入れずに愛人の家に入り浸ってしまったのです。そうしてヨハンは自由になりました。しかも、母親のアンナは、家に帰らない夫にメラメラと復讐心を持ち、息子ヨハンにヴァイオリンを買い与えて、夫を超える音楽家として育て上げようとしたのです。
父親が家に帰ってこないのをいいことに、音楽家としての正統教育をしっかりと受けて成長したヨハンがデビューすることになりました。父親も、数々の素晴らしいワルツやポルカを作曲しましたが、基本的にはダンスホールの音楽です。当時のウィーンのダンスホールでは、着飾った紳士淑女が礼節をわきまえながら、お互いに体を触れ合うこともなく優雅に踊るこれまでのスタイルではなく、相手の腰に手を当てて密着し、くるくると回りながら激しく踊る新しいスタイルが大受けしていたのです。“19世紀版チークダンス”のような雰囲気もあったのだと思います。
父親は、そんなダンスホールを独占状態でした。そして、あらゆる手を使って、新しいライバルになりかねない息子の邪魔をします。仕事場になる飲食店に圧力をかけたり、楽員には息子の下で演奏しないように言いつけたり、なんとデビュー前の息子の中傷記事を新聞に書くように画策までするのです。
それでもヨハンのデビューコンサートは大成功に終わり、翌年、母親アンナは夫に離縁状を突きつけます。その後のヨハンの大活躍はめざましく、今ではウィーンの土産物店で買うことができる絵はがきといえば、モーツァルト像と、ヨハン・シュトラウス2世像であるくらい、ウィーンを代表する人物にまでになりました。
このように、父親の女好きが功を奏したヨハンですが、彼自身も生涯に三度も結婚しただけでなく、かなりのプレイボーイだったそうで、結局は父親似だったのです。その後、父親とも和解を果たし、一緒に協力しながら音楽活動を続けることになります。父親に妨害されたデビューコンサートであっても、最後に選んだ曲は父親の代表作『ローレライ・ラインの調べ』だったことからもわかるように、音楽家としての父親に対する尊敬がどこかにあったのだと思います。
最後に、元日のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートに関して、アンコール後半は毎年、同じ2曲で締めくくるのが伝統です。ヨハン・シュトラウス代表作のワルツ『美しく青きドナウ』ののち、父親の『ラデツキー行進曲』を演奏するのです。父親の曲に合わせて観客が大喜びで手拍子をする最大の盛り上がりを見せ、コンサートが終わります。やはり、息子にとって父親はいつまでも偉大な存在なのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)