「KS」については、実際にスルーする人はいるという。その上で、どう対応するかについては「だいたい毎日会うメンバーばかりだから、翌日とかに『返事ないけど、どうなの?』って直接聞いてる」(中2男子)という回答があった。返事をしなかったからといって即座に人間関係が切れてしまわないのは毎日顔を合わせる環境だからこそといったところだが、スルーしたこと自体はスルーしてもらえないようだ。「あまり問題にならない。そもそもメールでも返信来ない人っていたし。でもメールの返信しない子は、LINEでグループに入ってないんじゃないかな」(中2女子)という回答は、スルーするタイプの人間がグループに受け入れられていない気配を感じさせる。
実際、LINEのグループに属さないということで、不便さを感じると明確に答えたのは高校生たちだ。高校生ともなるとスマートフォン所有率もかなり上がり、LINEの利用状況としては「ほぼみんなが使っている。仲間内の連絡はほとんどLINE。メアド交換とかしない。LINEのIDだけしか知らない人もいる」(高1女子)という状態で、ほぼ生活インフラになっている様子がうかがえる。この環境で「KS」をする人は「けんかとかイジメとかは知らないけど、LINEのメンバーに入れられない子は、そもそも情報が流れないから、そういう子はかわいそう」という状態だという。「なんらかの返事をするのが暗黙のルールになっている」中、「既読無視すると文句を言う子はいる」「既読無視した子を外したグループを新たにつくって、メッセージ送る子がいる」と、積極的にイジメを行うとまではいかなくとも不愉快であることをあらわにする、仲間はずれにする、という行動を取る人もいることがわかる。
大学生になると、LINEは合コン等で出会った付き合いの浅い相手とも気軽に交換できる連絡先として、より積極的に使われているようだ。ではトラブルが増えるのかというと、そういう傾向は見られない。「トラブルとかは聞かないけど、『既読付いているのに、返事がない』とすごく気にする子はいる」(2年女子)という程度のようだ。しかし大学生ともなれば仲間はずれになどしないという意味ではないのかもしれない。「すぐに返信できないときは、通知画面だけ見て、既読をつけない」(1年女子)というように、使い方を工夫するようになっているだけの可能性もある。
全体的な印象として「KS」は少なくとも快くは思われていない状態であり、「KS」をする人はグループに入れられていないという様子が見えてくる。大学生くらいになれば、気の合う人とだけ付き合うようになるため、LINEを使うグループ、使わないグループ、使うけれど小まめに返信しなくとも気にされないグループ、というように分かれていくのだろう。
問題は中高生だ。特に中学生は単純に、親が選択した住居が近い同年齢というだけの集団だ。価値観が違って当たり前の集団なのに、まだ「みんな仲良し」であるべきだと思われがちでもあるし、グループに入れないということを気に病みがちな年頃でもある。インタビューの中でも出てきた攻撃的な対応をするタイプが複数人いれば、実際にイジメにつながることもあるだろう。
●大人ができるアドバイスは?
子供たちに相談された時に、大人ならばどう答えるべきか。成績や部活動の悩みならばともかく、LINEの悩みなどは自分の子供時代と照らして答えることもできず、大人としても悩ましいところだろう。しかも、大人からしてLINEに振り回されている節がある。
それは「ちらみ」というアプリが話題になったことからもうかがえる。これはLINEに既読マークをつけずに発言の一部を見られるアプリだ。
実はこの手のアプリは、これまでにもいくつか存在した。要するに最初にポップアップで表示される情報のログを残しておいてメッセージツリーのような形で見せるという動きをしている。しかし10月に大きな事件があった後、タイミングよく登場したことで脚光を浴びたのが「ちらみ」だ。
いつまでも未読にしておくというのも問題となるから、実際には十分な時間と気力がある時にLINEを開いて返事をするという使い方にして、一応「ちらみ」などで流れてくるメッセージを確認しておき、緊急用件がないかだけチェックするということになるだろう。それでも「忙しくて夜になるまで見られなかった」というような言い訳ができるだけでも「見たくせに返事をしない」と文句を言われるよりずっと楽になる。
まめな返答、密なコミュニケーションが苦痛だという子供たちには、このようなアプリの上手な利用を勧めるとともに、夜間や早朝などのスマホ利用を制限するなどして「親がうるさくて、返事がなかなかできない」というような言い訳を与えてやってもよいかもしれない。
●LINEの賞味期限切れも間近?
ネットを活用したコミュニケーション系のサービスやツールが流行した後、必ず「○○疲れ」という言葉が聞かれるようになる。日本でのSNS流行のきっかけとなったmixiにも「mixi疲れ」といわれた時期があった。友人が日記を書いたことがわかると読みに行かなければならない、読んだからには感想を書かなければならない、読んだはずなのに感想が書かれない、と互いにストレスを募らせた結果の「疲れ」だ。
SNSが流行する前から同じような話はいくらでもあった。サイトにカウンターをつけて「キリ番」(編註:区切りのよい番号)をお祭りのように祝っていた頃は、「キリ番」に当たったのに名乗り出ないことを「踏み逃げ」と呼び、それが罪であるかのように叩く人々がいた。ICQやMSNメッセンジャーが交流のメイン手段だった頃、オンラインであることが発見されると挨拶をしなければならなくて面倒だからと、常にオフライン表示にする人々がいた。
人とつながれる喜びと便利さの後に、つながりが強すぎることへの面倒さが来る。結果として、本当に密接なやりとりができる仲間内でだけ使うようになったり、より快適に使えそうなものに人が流れていったりして利用者が減る。そんな流れはツールが変わり、時代が移っても基本的に同じだ。
LINEにも「疲れ」が見えてきている。空気を読むことを重視しがちな日本人にとって、顔が見えないのに密接なコミュニケーションというのは少々荷が重いのかもしれない。ただし大人はうまく離れられたとしても、子供たちは簡単には離れられない可能性が高い。大人たちの見守りは必要だろう。
(文=エースラッシュ)