「片岡さん、辞めるの?」。昨秋、インターネット掲示板で三井生命関連のスレッドには、こうした落胆の書き込みが多く見られた。「片岡さん」とは、昨年11月末に同社を退職した片岡一則元専務。米AIGグループを中心に外資系金融機関でキャリアを積み、12年4月に三井生命の営業担当役員に招聘された。
日本企業も外部から優秀な人材を役員登用するのは今や珍しい話ではないが、旧態依然とした生命保険業界では極めて異例。加えて片岡氏が登用されたのは生保会社の“聖域”とされる営業畑だけに、前代未聞の人事だった。
片岡氏の招聘に動いたのは、三井住友銀出身で当時三井生命会長だった津末博澄氏。08年秋のリーマンショック以降、赤字体質から抜け出せない中、しがらみのない外部人材を登用することで閉塞感の強い営業体制の改革を狙ったものだ。いわばメインバンクのお墨付き人事だっただけに、わずか1年半での退社となれば、その真相は穏やかではなさそうだ。
●不自然な退職、飛び交う臆測
保険業界担当記者は、「片岡さんの就任後、外資ならではの意思決定の速い組織改革が徐々にだが浸透し始めていた。また、保険業界以外から営業手腕に長けた人材を採用する新しい制度を始めたが、その矢先の退職。表向きは本人の一身上の都合と説明されているが、あまりにも不自然」と首をかしげる。
一方、片岡氏退職の理由として、社内の軋轢を挙げる声も聞かれる。片岡専務は、たて続けに改革を断行。以前勤めていたジブラルタ生命保険(旧AIGエジソン生命保険)の部下を引っ張ってきたほか、新しい営業職員の採用制度の開始に伴いコンサルタントを雇い入れるなど、新陳代謝を急いだ。「当然ながら生え抜きの役員や社員の中には、不平を持つ社員も少なからずいた」(同社関係者)というが、ある程度の軋轢は織り込み済みだったはずだ。
むしろ、「業績不振の責任を取らされた。退任というより実質は解任」との見方が同社関係者の間では支配的だ。実際、片岡氏の役員就任後も同社は苦戦が続いた。13年4~9月期決算では損保が主力の東京海上グループに保険料収入で抜かれ、運用利回りが契約者への予定利率を下回る「逆ざや」もいまだに続いており、財務基盤の脆弱性も他社に比べて目立つ。しびれを切らした三井住友銀に迫られ、後ろ盾の津末会長が退職したこともあり、外様の片岡専務の首を差し出したとの見方が有力だ。
同社の中堅社員のひとりは「ここ20年で当社の保険料収入は5分の1以下に落ち込みながら、抜本的な改革に乗り出せなかった。その責任を負うべき生え抜きの役員が首を切られず、片岡さんがわずか1年半で更迭されるのは、あまりにも筋が通っていない。むしろ片岡さんのほうが、閉鎖的な当社の体質に見切りをつけたのかもしれない」と苦笑する。
その片岡氏は、14年1月1日付でオリックス生命保険の社長に就任した。ようやく動きだした三井生命の改革の時計が逆戻りしかねない状況を悲観する声が、同社内からは聞こえてくる。
(文=編集部)