その後、沈黙を守ってきた勝久氏は2月25日、都内で会見を開き、「社長(久美子氏)を任命したことが失敗だった。親として私は間違えてしまった」と胸中の思いを語った。これに対し久美子氏もまた「父の主張は牽強付会で無理がある」と応戦、戦いは泥沼化する様相を深めている。父娘の骨肉の争いは、いったいどこから始まったのか。
●業界の異端児、誕生と成長
大塚家具は桐箪笥3大産地の一つ、埼玉県春日部市で勝久氏の父が1928年に始めた総桐箪笥の工房がルーツ。勝久氏は同市で43年4月27日に生まれている。勝久氏は県立春日部高校を卒業後、69年に25歳で家具・インテリア全般を販売する店として大塚家具センター(78年より大塚家具)を設立、社員24名でスタートした。
「つくり手の眼で良質な素材、工場や工房を見極めて、価値ある家具を提供」というコンセプトで、創業当時から問屋などの中間業者を介さずに直接取引できる工場を開拓。大規模な倉庫を持って大量に仕入れをし、スケールメリットを生かした価格戦略を展開。さらに創業当初からお客に商品の「価値」を正しく知ってもらうために、専門知識を持った社員が適切なアドバイスを行うスタイルの販売手法を展開。これが奏功して80年、株式を店頭公開した。
さらに80年代に欧州・米国家具業界を視察し、本格的な直接輸入を開始。85年、商品別の売り場構成から、顧客のライフスタイルやライフステージに沿った「生活提案型」売り場の展開をスタートした。これは商品別に担当者がいる他社とは異なり、家具、カーテン、照明などインテリアを構成する全要素を一人の担当者が、トータルにコーディネートして販売するスタイル。ちょうど百貨店のお帳場に似ている仕組みといってもいいかもしれない。
そして93年、「IDC大塚家具 日比谷ショールーム」を皮切りに全店舗で会員制を導入。登録した顧客に限定したシステムにすることで、定価表示を慣行とする業界の常識を破り、「実売価格表示・値引き販売」を実現。実売価格表示は利用者の大きな支持を得た一方、値崩れを嫌う一部の国内メーカーが出荷を停止したこともあったという。
こうした状況を乗り越えるために、主力商品として欧米からの輸入品を本格的に導入した。会員制導入とともに「IDC」の商標を使用開始、96年に有明本社ショールームオープン以降、大型ショールームを全国へ展開した。