チェキ、なぜ土壇場から劇的復活?韓国・中国での人気、競合企業の破産を追い風に活性化
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
新入社員の配属や人事異動による歓送迎会など写真撮影のシーンも増えて、一段とカメラが活躍する時期となった。近年は、スマートフォンで撮影する人が増え、それに比例して、かつては写真撮影の主役だったデジタルカメラ市場が縮小している。
そんな中で人気が拡大しているのが、富士フイルムのインスタントカメラ「チェキ」(「instax mini」シリーズ)だ。2013年度の年間販売台数は230万台、14年度は350万台を見込む。人気を支えるのは、意外にも若い世代だ。
一度はデジカメに追いつめられたアナログ商品が息を吹き返し、年々売り上げを拡大させるという逆転現象が起きている。
デジタル普及直前の発売
チェキが発売されたのは1998年11月。「撮ったその場でプリントが楽しめる」インスタントカメラとして市場に送り出された。
98年は、マイクロソフトから「Windows 98」が発売され、インターネット時代が急速に進んだが、世の中全般で見るとネットが情報インフラとなりきってはいない頃であった。
カメラ市場も、まだフィルムカメラ全盛期で撮影内容がその場でわかるインスタント写真の需要は根強かった。「ポラロイド写真」との呼称が一般に定着していたことからもわかるように、チェキが発売されるまで、この市場には米ポラロイド社が君臨していた。
チェキ開発の背景には、富士フイルムの従来商品「フォトラマ」(81年発売)の売れ行き不振もあった。発売時に話題を呼んだフォトラマではあるが、90年代には苦戦が続いていたのだ。そこで開発に当たり同社が目を付けたのは若い世代、特に女子高校生だった。彼女たちは同社製レンズ付きフィルム「写ルンです」をカバンに入れて持ち歩き、日常的に写真を撮る習慣があったのだ。
当時の女子高生はトレンドリーダーであり、撮ったその場で写真シールがプリントアウトされる「プリクラ」(アトラス)も彼女たちが人気を牽引した。その世代を当て込み、市場調査を重ねた末に発売されたチェキは思惑どおり若者の支持を集め、02年度には全世界での年間販売台数が100万台に達した。
だが同時期、世の中は急速にデジタル化へシフトしていく。富士フイルムにおけるカラー写真フィルム需要のピークは00年で、「そこから2~3年で年率7~10%減、その後は同20~30%減となった」(同社)。社名が示すとおり、同社は戦前の34年に写真フィルム製造の国産化を目的に創業された会社で、戦後はフィルムなど写真感光材料のメーカーとして発展してきた。それが「主力事業の市場が一気に縮小」という土壇場に立たされ、03年から大々的に事業構造の転換を図っていったのだ。
デジタル化という大波に見舞われたチェキも、02年度をピークに販売台数が激減していった。