4月、一橋大学専任講師の川口康平氏が香港科技大学に移籍することを自身のツイッター上で発表し、一橋大の2倍以上の年収になる「1500―1600万円」を提示されたと明かし話題を呼んだ。さらに、「大学内にファカルティハウスがあって、年収の10%を支払えば、100平米ぐらいの3LDKに召使い部屋と駐車場が付いた部屋を借りられるそうです」「キャンパス内に保育所が完備されており」などと日本の大学との違いを指摘し、次のように警鐘を鳴らした。
「これまでにも『PhDがみんな海外に行く』『海外就職して帰ってこない』などの形で問題は生じていたのですが、このように近年では『国内の人材が海外に出ていく』例もでてきています」
では、やはり日本の大学教員の待遇は、世界と比較して低いといえるのであろうか。『高学歴女子の貧困』(光文社新書)の共著者で実践女子大学非常勤講師の大理奈穂子氏に話を聞いた。
――今年度はいくつの大学で非常勤講師をされているのですか。
大理氏(以下、大理) 5つの私立大学で週に計11コマを担当しています。大学院在学中に非常勤講師を始めてから今年で9年目になりますが、これまでに最も多いコマ数です。通勤時間も長くなりがちですので、講義数をギュウギュウに詰め込んでも週14~15コマが限界でしょう。
――限界まで講義を詰め込むと、年間収入はどのぐらいになるのでしょうか。
大理 年収は300万円台の後半にしかなりません。どの大学でも週2コマ単位で講義することが基本ですが、私立では、1コマ当たりの給与は月額2万5000円前後が相場です。国公立になると、報酬はもっと下がります。
ある私立大学の給与規程は、非常勤講師の年齢によって格付けされ、30歳以下が1号俸で2万3300円、最高額は61歳以上が対象の6号俸で2万9800円です。ある程度の時間的余裕をもって週8~9コマで済ませたくても、それでは生活ができないのが実情です。
――1号俸給と6号俸では6000円しか違いませんね。
大理 そうです、たった6000円の違いです。しかも年齢によって俸給が格付けされていますが、採用された時の年齢に適用される俸給が、その後も永続的に適用され続けるのです。年齢によって格付けされていても、年齢が上がるにつれて昇給する仕組みにはなっていません。この私立大学に30歳以下で非常勤講師に採用された人は、何年務めても1号俸のままです。
――同じ講師職でも、専任講師と非常勤講師とでは、収入にどのぐらいの差があるのでしょうか。
大理 専任講師の年収相場は600万円前後なので、非常勤講師との差は2倍あるといわれていますが、私はそうは思いません。非常勤講師は、保険料が全額自己負担の国民年金と国民健康保険にしか入れず、学会への出張費などの研究費もすべて自己負担ですが、専任講師は、保険料を雇用主と折半できる共済年金と社会保険に入っていますし、勤務先からは研究費も支給されます。年間に5~6倍の差はあるでしょう。
非常勤講師の労働組合として首都圏大学非常勤講師組合を始め、関西圏大学非常勤講師組合と東海圏大学非常勤講師組合がありますが、両組合で「専業非常勤講師は細切れ掛け持ちパート」といわれています。非常勤講師は大学にとって雇用の調整弁として扱われています。
――実際にどんな調整が行なわれるのですか。
大理 ある国立大学では、今年3月に相当数の非常勤講師の雇い止めが行なわれました。国立大学は独立行政法人に変更されて以降、毎年国からの補助金が減額され続け、授業料の値上げでカバーしていますが、それでも長年の補助金頼みの経営体質のために、収支は苦しい状況にあります。その国立大学は各学部の教授会による自治が伝統的に受け継がれて、自由な気風が特徴だったのですが、学長の権限が過剰に強まってきて、各学部の教授会に人員削減目標がトップダウンで降ろされました。
非常勤講師の雇用契約は、法律上は単年度契約なのですが、大学業界の慣行として自動継続が定着しています。ところが、その教授会は学長の指示を受け入れざるを得なくなったのです。対象になった非常勤講師たちには、契約を更新しない旨が事務的に書かれた1枚の通知書が郵送されました。
――次の仕事はどのようにして探すのですか。
大理 経験を積むと、探さなくてもお呼びがかかることも増えてくるのですが、そうでないときには学会などの知り合いを頼って、教員を募集している大学を紹介していただきます。どれだけ多くの知り合いを持っているかが鍵になるので、人間関係を広げていく社交性も欠かせません。
研究はロマン?
――ところで、日本の大学教員には、大学の給料は安いという見方がありますが、何を基準にして安いのか。東京商工リサーチの調査によると、日本の上場企業の平均年収は600万円少々です。たとえば30代の専任講師で年収600万円なら、ホワイトカラーの年収として安くはありません。
大理 そもそも高収入を求めて大学教員を目指す人は少ないのではないでしょうか。大学教員のステイタスは権威であって、高給ではありません。とくに基礎科学の男性研究者の間ではよく「研究は金ではなくて、男のロマンだ」と言われてきたぐらいです。収入をモチベーションにする人は、東京大学で優秀な成績を収めても大学院に進まずに、IT企業や外資系金融機関などに就職していると思います。
――大学教員は勤め人でありながら、会社員と違って副業を自由にできる立場にあります。給料が物足りないのなら、講演や執筆や会社役員などで稼ぐ機会はいくらでも開拓できるでしょう。
大理 講演や執筆は単発の仕事なので自由にできますが、専任教員が他の大学で非常勤講師をやることには、制約がかけられる傾向が強くなっています。人件費削減のために非常勤講師を雇い止めしたことで、専任教員の負荷が多くなったため、他大学の講師を引き受けないで本業に専念するようにと暗に指示されることが増えています。
――教員1人当たりの負荷が過重になった大学では、教員の流出が続いたりすることはないのですか。
大理 人事の「凍結」と呼ばれているのですが、10年近くも前から、定年を含めて退職者が出た時に後任の採用をやめている大学が出てきています。給与をカットするよりも、教員の人数が自然に減るのを待つほうが、より少ない抵抗で人件費を削減できるとでも考えたのでしょうね。
しかし、仕事の量が減ることはそうはありませんので、人が減っても補充をしなければ、1人当たりの仕事は増えていくわけです。その結果、これでは過労に追い込まれると限界を感じた教員から他大学へ移籍します。そんな大学では、教員の流出は加速する一方で止まるはずがないのですよ。
――多くの場合、大学教員が他大学に移籍するケースでは、よりランクの高い大学に移ることが多いように見えますが、給料が移籍の動機になることもあるのですか。
大理 国公立大学から私立のブランド大学に移籍する場合には、給料を増やしたいという動機もあるのかもしれません。私の身近では、昨年、国立旧一期校の教授が都内のミッション系の大学に移籍したケースがあります。大学のランクは落ちますが、給料は増えたようです。
その一方で、よりランクの高い大学に移籍する典型的なパターンを、大学業界では伝統的に「東大スゴロク」と呼ばれています。プロ野球選手がいくつかの球団を渡り歩いて、現役選手としての経歴の最後を巨人で過ごせば、引退後の仕事に恵まれると考えるのと同じことです。つまり定年退職後を考えて、給料を下げてでも教員生活の最後は東大に勤務して、箔を付けるというパターンです。
(構成=小野貴史/経済ジャーナリスト)
※後編に続く