10日、株式市場の大引け後、政府が日本銀行の次期総裁に元日銀審議委員で共立女子大学教授の植田和男氏を起用する方針を固めたと一斉に報じられた。日銀総裁には日銀出身者と財務省出身者が就任するのが慣例となっており、植田氏が就任すれば戦後初の学者出身の日銀総裁となる。副総裁には内田真一理事、氷見野良三前金融庁長官が起用される見通し。
2013年に黒田東彦氏が総裁に就任して以降、日銀は異次元の大規模金融緩和策を実施し円高是正が進行した一方、日銀による国債の大量購入で債券市場の流動性低下など副作用が生じているとも指摘されている。日銀は現在、長期金利を一定の範囲に抑え込む長短金利操作を行っているが、22年12月には長期金利の許容変動幅を0.25%から0.5%に拡大し、黒田総裁の任期が4月で切れることもあり、金融緩和縮小の観測が広まり、海外の投機筋は国債の売却を続けている。植田氏は、10年続いた金融緩和をどのように出口へ誘導するのかという難題に挑むことになる。
「植田氏は日銀審議委員を務めていた2000年にゼロ金利解除に反対していたこともあり、性急な金融緩和縮小は進めないという見立てが、起用の理由としては大きい。ただ、次期総裁に本命視されていた雨宮正佳副総裁が緩和縮小に動くとみられていた一方、植田氏がどう動くのかは市場関係者の間でも見方が分かれており、読めない部分が多い。一方、報道を受けて米ニューヨーク外国為替市場では円高・ドル安が進むなど、海外では近いうちに日銀が緩和縮小に動くのは不可避だという見方が強い」(金融関係者)
植田氏の総裁就任によって日銀の政策はどう変わるのか、日本経済にどのような影響を与えるのか。上武大学ビジネス情報学部教授の田中秀臣氏に解説してもらう。
岸田政権の意向が強く反映
今回の総裁、副総裁候補は、過去もっとも高い学歴(専門家としての教育)と国際性をあわせ持っている。これは率直に評価すべきことだ。だが、肝心の金融政策については黒田日銀とは性格を一変する可能性がある。インフレ目標2%の導入は、長く続いたデフレと経済停滞を脱却するために安倍政権で行われたアベノミクスの核だ。その核心部分を、今度の植田新体制は骨抜きにする可能性がある。なぜなら黒田日銀は、インフレ目標を中心とした金融緩和政策でデフレを脱却し、雇用を最大化し、さらに経済成長を安定化することで我々の生活を豊かにすることが目的だった。
だが、植田氏はこのような黒田日銀の金融緩和政策にかねてから批判的であった。原田泰元日銀審議委員の回顧録『デフレと闘う』(中央公論新社)では、カナダ銀行・日本銀行共催ワークショップ後のパーティーで、植田氏は日銀の金融政策であるYCC(イールドカーブコントロール:長短金利操作)で長期金利をゼロ近傍に操作することでハイパーインフレになる、また金融機関の経営を悪化させるなどと発言した。私見では、その後もYCCは今日まで続くがいっこうにハイパーインフレの気配はない。また黒田日銀のように日本経済のためというよりも、あたかも金融機関の経営のために金融政策を評価しているともとれる。日銀総裁としての資質に極めて深刻な疑問がつくだろう。
植田氏は日銀の審議委員を務めていたときにゼロ金利解除に反対するなど、金融緩和にこだわる人物だとして評価する向きがあるが、正しく理解する必要がある。植田氏の反対は当時の不良債権問題など金融機関への配慮だった可能性が大きい。その意味では、日本経済のための金融政策を考える人材ではない。もちろん常識的にも当面は日銀は金融緩和を継続するだろう。だが、日本のガラパゴス化した金融業界では、インフレ目標を「中長期」の目標として骨抜きにすることや、YCC、特に長期金利の操作への批判が根強い。この日本の金融業界の声をやがて植田日銀(仮)は代弁する可能性がある。
実際には、植田日銀が単独で決めることは当面はない。現状では岸田政権の意向が強く反映されるだろう。今回の人事案には、雨宮正佳副総裁の意向が強く表れていると向きもある。人事案で日銀に貸しをつくったともとれる。そのため当分は植田日銀は岸田政権の意向どおりに動くだろう。その意味では、岸田首相が常々言っているように、新総裁のもとでの政府と日銀の共同宣言の改定が重要である。これは6月に行われる骨太の方針の決定とともに日本経済の行く末を決める。「アベノミクスの継承」か、それとも「アベノミクスの終焉」か。前者であれば日本経済はコロナ禍・ウクライナ戦争のなかでも経済再生に舵を大きくきり、来年は安定的にデフレを脱却する可能性がある。他方で、後者ならば日本経済には多大なる困難がやがて待ち受けるだろう。