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小黒一正教授の「半歩先を読む経済教室」

日銀による人為的な国債バブルは継続できるのか、行き詰まるのか

文=小黒一正/法政大学教授
日本銀行のHPより
日本銀行のHPより

 総務省が2022年8月中旬に公表した7月分のCPI総合(消費者物価指数2000年基準)は前年同月比2.6%の上昇となり、また、日銀が9月中旬に公表した8月分の企業物価指数は速報値で前年同月比9%の上昇となった。まだ国民から強い批判が出てくる状況ではないが、企業物価指数が前年を上回るのは18カ月連続であり、インフレが徐々に進行している姿を浮き彫りにした。

 現在のところ、日本のインフレはアメリカほど深刻な状況ではないが、それが本当の意味で政治問題に浮上した場合、何が起こるのか。その時に最も難しい判断を迫られるのは、間違いなく、日銀であろう。

 日本銀行法の第2条では、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定されており、インフレが加速し、それが国民経済の健全な発展を阻害する状況になれば、何らかの対応を迫られる。

 インフレ問題に対する正攻法の対応は、アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)がコロナ禍で拡張した金融政策の手仕舞いをし、インフレ抑制のために段階的な利上げを実施しているように、日銀も異次元緩和の手仕舞いを早々に行い、利上げするしかない。

 しかしながら、アメリカのFRBと異なり、日銀が利上げを行うのは政治的に極めて難しい。理由は単純で、日銀が利上げを実施すれば、それは財政を必ず直撃するからである。周知のとおり、日本の政府債務はアメリカよりも遥かに大きい。実際、IMFデータによると、2020年におけるアメリカの政府債務(GDP)は120%未満だが、日本の政府債務(対GDP)は200%を超えている。

 日本の普通国債残高は2022年度末で1026兆円に達すると予測されており、例えば、金利が1%上昇すれば、数年かけて、国債の利払い費が10兆円近くも増加してしまう。国の一般会計予算(当初)は概ね100兆円だが、この利払い費増はその1割に相当する。

 しかも、インパクトはこの程度で済むとは限らない。金利と物価の関係を示す「フィッシャー方程式」では、「名目金利=実質金利+期待インフレ率」という関係が成立する。この方程式により、例えば、実質金利が0.5%で、期待インフレ率が0%であれば、名目金利は0.5%となる。また、実質金利が0.5%のままでも、インフレ圧力が徐々に顕在化し、期待インフレ率が2%に高まれば、名目金利は理論的に2.5%となるはずだ。

 総務省が公表するCPI総合のインフレ率は2.5%程度、日銀が公表する企業物価指数のインフレ率は9%程度もあり、仮に日本国内の期待インフレ率が3%以上に高まれば、名目金利が3.5%以上に上昇しても不思議ではない。

 しかしながら、「イールドカーブ・コントロール」(長短金利操作)や「指値オペ」といった人為的で巧みな市場操作により、日銀は今、短期金利はマイナス0.1%、長期金利は概ねゼロに近い水準に誘導している。その分、国債の利払い費が抑制できている。問題は、この人為的な操作がいつまで継続できるか、である。

インフレの抑制か、財政の救済か

 筆者は、本質的な問題を先送りするため、政治が一時的に市場メカニズムを歪めることができても、途中段階で「何らかの綻び」が必ず発生し、最終的には市場メカニズムが政治を打ち負かすと思っている。この教訓は、1980年代後半の土地バブル生成やその崩壊、1997年以降の金融危機、アメリカのリーマンショック等を観察するなかで得たものである。そして、いま日本では国債バブルが起っている。

 このバブルは日銀が大量に国債を購入することで成立しているが、いかなるバブルも必ず崩壊する。未来永劫、「イールドカーブ・コントロール」(長短金利操作)が継続できると想定するのは賢明ではない。「何らかの綻び」として、一つのトリガーとなり得るのは、インフレが加速し、国民の不満が高まった時である。政府は、インフレ対策として、低所得層(住民税非課税世帯)に対し1世帯当たり5万円の給付を行うことや、ガソリン補助金の延長などを表明しているが、財政支出の拡大は需要を拡大してインフレ圧力を増すだけで、本質的な解決策にはならない。

 また、日銀の黒田東彦総裁の発言などから読み取れるように、現在のところ、日銀は、物価目標の持続性的・安定的な実現には至っておらず、物価の上昇は一時的であるとしている。すなわち、現在の段階では、インフレ率の高進が賃金上昇に伴う需要拡大や、インフレ予想に対する2次的な波及が物価をさらに押し上げるモードには入っておらず、資源価格の高騰や円安によって供給サイドのコストが増すことでインフレ圧力が高まっている段階に過ぎないと日銀は判断している。このため、強力な金融緩和を継続し、景気をサポートしながら、物価目標の持続性・安定的な実現に専念する旨のメッセージを出している。

 しかし、この日銀のメッセージは、昨年(2021年)夏頃までのアメリカFRBの対応と似ている。サマーズ元財務長官やダドリー前ニューヨーク連銀総裁などは、かなり前からインフレの加速を警戒する発言をしていたが、FRBのパウエル議長はコロナ禍で拡張した金融緩和を継続し、景気をサポートする旨のメッセージを出し続けていた。

 もはや現時点では明らかだが、パウエル議長の当時の判断は間違いで、このミスによって、アメリカのインフレ率は当初の予測とは異なり、大幅に加速してしまった。その後、パウエル議長もミスを暗黙に認める形で軌道修正を行い、2022年の3月以降、FRBは段階的な利上げを明らかにしたが、利上げ判断が遅れたことから、インフレが高進し、その抑制に一層厳しい態度で挑む必要性が出てきてしまった。

 では、日銀はどうか。将来のことは誰も100%の形では予測できないが、仮に日銀がFRBと似た状況に陥った場合、日銀はインフレ抑制のために利上げを決断できるのか。インフレの抑制か、財政の救済か。日銀は二者択一を迫られる。政治的な摩擦を含め、その時に何が起こるのか、いまからでも頭の体操をしておく必要があろう。

(文=小黒一正/法政大学教授)

小黒一正/法政大学教授

小黒一正/法政大学教授

法政大学経済学部教授。1974年生まれ。


京都大学理学部卒業、一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。


1997年 大蔵省(現財務省)入省後、大臣官房文書課法令審査官補、関税局監視課総括補佐、財務省財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授などを経て、2015年4月から現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、経済産業研究所コンサルティングフェロー。会計検査院特別調査職。日本財政学会理事、鹿島平和研究所理事、新時代戦略研究所理事、キャノングローバル戦略研究所主任研究員。専門は公共経済学。


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