ジャニーズ事務所と統一教会を結びつける“ある芸能夫妻”…知られざる芸能の戦後史
ジャニーズ事務所はかつて、世界平和統一家庭連合(以下:統一教会)とのあいだに“間接的な接点”を持っていた。もちろん、所属タレントが関連イベントにビデオメッセージを送っていた、ライブ会場で高額の壺を売っていた……という話ではない。旧統一教会(あるいは関連団体)のPR活動にかかわっていた2人の人物と、蜜月関係にあったのである。
霊感商法問題化以前は、テレビでフツーに流れていた統一教会系のCM
旧統一教会のいわゆる“フロント企業”のひとつに、「一和(イルファ)」という会社がある。その公式サイトによれば、「1971年に設立された(株)一和は食品、高麗人参、製薬を生産するヘルスケア専門企業です」とのこと。そして、旧統一教会による霊感商法が問題視される以前の1970年代の終りから1980年代にかけて、「世界のしあわせ(現:ハッピーワールド)」という商社が同社商品を日本で販売し、積極的にプロモーションしていたことがある。ちなみに、販売されていたのは次のような商品だった。
「一和高麗人蔘茶」(顆粒状の高麗人参茶)
「ジンセンアップ」「ジンセンアップ100」(炭酸入り高麗人参ドリンク)
「メッコール」(麦の風味のする炭酸飲料)
このなかで、「一和高麗人蔘茶」のCMに出演していたのが、宝塚歌劇団の娘役出身で、1950年代には松竹や日活の看板スターだった俳優の月丘夢路(1922年10月生まれ)である。CM出演当時の月丘はすでに映画の第一線からは離れていたが、往時を知る世代には高い知名度を誇っていた。
CMは、和服姿の月丘が韓国の農村を歩き、高麗人参を栽培している農民の男性に「アンニョンハセヨ」と話しかけ、「ユメジサン トモダチ」と返される……といったものを始め、さまざまなバージョンが制作された。前述の“韓国農村バージョン”を除いては、和風、江戸風のイメージのものが主だった。
宝塚出身の往年の女優・月丘夢路、80年代のジャニーズ舞台に毎回出演
そんな月丘の1980年代における活動で、もうひとつ目立つものがあった。ジャニーズ事務所関連の舞台への連続出演である。
1985年:『胡蝶のお蘭 稲妻の長吉 夢泥棒』(東京宝塚劇場)
▶田原俊彦と共演
1985年:『近藤真彦特別公演 森の石松』(新歌舞伎座)
▶近藤真彦、川崎麻世と共演
1986年:『近藤真彦特別公演 森の石松』(明治座)
▶近藤真彦、おりも政夫と共演
1987年:『胡蝶のお蘭 稲妻の長吉 夢泥棒』(新歌舞伎座)
▶田原俊彦と共演
1988年:『沖田総司/サマー・ビッグ・ステージ』(新歌舞伎座)
▶東山紀之 、中村繁之、少年忍者と共演
1990年:『近藤真彦デビュー10周年特別企画 若親分」(新歌舞伎座)
▶近藤真彦と共演
1992年:『SHOW劇 ’92 MASK』(日生劇場)
▶少年隊(錦織一清、植草克秀、東山紀之)、 TOKI0(城島茂、山口達也、国分太一、松岡昌宏、小島啓、長瀬智也)、 ジャニーズJr. (坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、佐野瑞樹ほか)と共演
これらの作品に、ことごとく月丘が出演していたのだ。
公演の何から何までジャニーズ事務所側が決めているとも限らない。舞台経験豊富なベテランの存在は作品に重厚感を与えたはずだ。また、ジャニーズのタレントたちが彼女の芝居や所作から学ぶこともあっただろう。たまたま毎回、重鎮的な中高年女性の役が必要だったのかもしれない。だとしても、その枠に月丘だけが毎回キャスティングされるというのは、さすがにいささか不可解ではないだろうか。
また、1987年にはバラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」に出演した月丘が、友達として近藤真彦を紹介したこともあった。
月丘夢路の夫は、ジャニーズ作品から統一教会プロパガンダ映画へと“方向転換”
月丘夢路の夫、映画監督の井上梅次(1923年5月生まれ)もまた、日本映画史に名を残す人物だ。大手映画会社をまたにかけ多数の作品を手掛け、さらに香港でも活躍した職人的大監督である。特に、『ジャズ娘乾杯!』(1955年)、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』(1957年)、『黒蜥蜴』(1962年)など音楽映画の第一人者として知られ、「江戸川乱歩の美女シリーズ」(テレビ朝日系)などテレビ界でも豊富な実績がある。
ここで注目すべきなのは、そんな井上の1980年代におけるフィルモグラフィだ。同監督はその10年間に、次の5作品を撮っている。
『嵐を呼ぶ男』(1983年)
『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』(1983年)
『あいつとララバイ』(1983年)
『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』(1985年)
『暗号名 黒猫を追え!』(1987年)
まず、石原裕次郎の代表作を近藤真彦主演でリメイクした『嵐を呼ぶ男』での起用は当然であった。なにしろ『嵐を呼ぶ男』は、もともと井上のオリジナル作品であるからだ。さらに『嵐を呼ぶ男』の併映作で、田原俊彦が東京・有楽町の東京宝塚劇場で行ったコンサートを描いたドキュメンタリー作品『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』も井上に任せられている。2本立て上映作品の両方を一人の監督が手掛けるというのはレアケースだ。さらに井上は、同じ年に公開された少年隊の初主演映画『あいつとララバイ』でもメガホンを握った。前述のように井上は音楽映画の第一人者であり、ジャニーズ事務所とは相性がバッチリだったといえる。しかし、その蜜月期は短く、そこから大きな方向転換を図る。以後、統一教会系のプロパガンダ映画を2本続けて撮るのである。
統一教会系プロパガンダ映画に、岸信介、安倍晋太郎の名もクレジット
『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』は、沖田浩之、坂上味和、柳生博、藤巻潤、萩尾みどり、新藤恵美、二木てるみら、当時はテレビや映画でもよく見かけられた俳優が出演。内容は井上の十八番である音楽要素も多分に含んだ青春映画の体裁だったとされる。しかしその実体は、統一教会の関連団体の主張を訴えるものだった。
1959年以降、日本に住んでいた朝鮮半島出身者の9万人余りが日本から北朝鮮に渡った。在日朝鮮人のいわゆる「帰還事業」である。その際に配偶者の朝鮮人男性と行動をともにした日本人女性は当時「日本人妻」と通称され、北朝鮮移住後は日本への里帰りがほぼ認められなかった。これを問題視し、1970年以降、彼女たちが再び日本の土を踏めるよう推進する「日本人妻里帰り運動」と呼ばれる動きがあった。これを先導していた「日本人妻自由往来実現運動の会」の会長は池田文子という人物であり、彼女こそが『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』のプロデューサーなのだ。
確かに、北朝鮮に渡った日本人女性が母国に戻ることができないのは、人権面で大いに問題がある。ただしこの「日本人妻里帰り運動」には、当時の統一教会の思惑により推し進められているという一面があった。なぜならこの池田文子とは、のちに日本統一教会第7代会長(1998〜1999年)となる江利川安栄【註1】の別名なのだ。
統一教会が日本と韓国で政治団体「国際勝共連合」を設立し、“反共”を掲げることで、日本の保守政治家や大物右翼活動家らと関連を深めていったのは、いまや各所で報じられている通りである。そして、映画『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』のクレジットには「協力」として、その「国際勝共連合」や、自宅隣に統一教会関連施設があったとされる岸信介、その義理の息子(娘の夫)である安倍晋太郎、さらに石原慎太郎などの名前がズラリと並んでいることも確認しておきたい。
【註1】現在は、旧・統一教会の分派である「世界平和統一聖殿」(通称「日本サンクチュアリ協会」)の総会長
豪華キャストのプロパガンダ映画は、特定サイトでのみDVD販売中
次に井上が撮った『暗号名 黒猫を追え!』(1987年)は、「スパイ防止法」の制定を訴えたサスペンス映画である。「スパイ防止法」とは、簡単にいえばスパイを厳しく取り締まり、スパイ行為を働いた者を厳しく処罰するための法律である。統一教会および国際勝共連合は、日本での同法律の成立に向けて積極的に動き、1979年には「スパイ防止法制定促進国民会議」なる組織を結成している。
同作は、ソ連を思わせる「B連邦」のスパイならびに、北朝鮮がモデルと思しき「北方共和国」の工作員たちの日本での暗躍と、それに対峙する日本の公安警察を描く。プロパガンダ映画ながら、井上が職人技でエンタメ作品に仕上げている。
すでに統一教会による霊感商法問題が日本のメディアで取り上げられていた1987年の作品だが、主演の柴俊夫ほか、榎木孝明、国広富之、高岡健二、田中美佐子、中島ゆたか、荒木しげる、三ツ木清隆 、真夏竜吾、新藤栄作、伊吹剛 、片桐竜次、森次晃嗣 、久保明 、本郷功次郎、山村聡という、なぜか刑事ドラマ、特撮ドラマ(映画)でお馴染みの豪華キャストが出演。この面々が揃って、「強い反共思想を持っていた」「スパイ防止法制定を主張していた」「統一教会の信者だった」という事実はなく、“背景がよくわからないまま、依頼のあった仕事を受けた”というのが実際のところだろう。
ちなみに上記2作品は、一般の映画館ではなく、関係者がチケットを事前販売した上での自主上映会で公開する形式がとられた。そのため、長らくソフト化やテレビ放送の機会もなかった。ただし、『暗号名 黒猫を追え!』に限り、2000年代に名画座での上映の機会があり、2022年10月現在は前出の「スパイ防止法制定促進国民会議」がDVDをネット販売中である。
さて、そんな作品を撮っていた映画監督・井上梅次と女優・月丘夢路夫妻、そしてジャニーズ事務所とは、そもそもいかなる接点から蜜月関係を築いたのか? 【後編】ではそのあたりを考察してみたい。(文中敬称略)