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ジャニーズ事務所と統一教会を結ぶ“点と線”【後編】

統一教会と岸信介、そしてジャニー喜多川とメリー喜多川、その夫の藤島泰輔との“点と線”

文=峯岸あゆみ
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高麗人参茶を手に微笑む女性。宝塚歌劇団の娘役出身で、松竹や日活の看板スターだった昭和の名優・月丘夢路である。旧統一教会のフロント企業とされる「一和(イルファ)」のテレビCMの一コマだ。こういった“事案”はやはり耳目を集めやすいのか、YouTubeなどでこうしたCMをまとめた動画が散見される。(画像は「YouTube makotosuzukiチャンネル」より)

【前編】で述べたように、1980年代のジャニーズ事務所は、統一教会と密接な関係にあった“ある夫婦”と懇意にしていた。

 宝塚歌劇団出身で、往年の映画スター・月丘夢路は統一教会のフロント企業とされる「一和」の商品CMに長らく出演しつつ、同じ頃からジャニーズ事務所関連の舞台公演に高い頻度で出演していた。その夫で映画監督の井上梅次は、たのきんトリオや少年隊の主演映画を撮った直後に、『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』(1985年)、『暗号名 黒猫を追え!』(1987年)という2本の統一教会系のプロパガンダ映画を監督した。

 月岡と井上の2人を見比べた場合、ジャニーズ事務所とより関係が深そうなのは月丘のほうである。井上とジャニーズ事務所との業務上の蜜月期間はきわめて短い。『嵐を呼ぶ男』『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』『あいつとララバイ』と、井上が手掛けた3本のジャニーズ映画が公開されたのは、いずれも1983年に限定されている。井上は1980年代後半までテレビドラマも多数手がけているが、そこにジャニーズ色が濃いものはない。また、井上が撮った統一教会系のプロパガンダ映画のいずれにも、ジャニーズ事務所は協力していない。なにしろ、『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』の主人公である青年を演じたのは、一時はジャニーズ事務所にとっては商売敵ともいえるアイドルだった、沖田浩之なのだから。

岸信介内閣誕生の1957年、メリー喜多川の夫・藤島泰輔の原作作品映画に出演していた女優・月丘夢路

 これに対し、月丘とジャニーズ事務所の付き合いは長い。彼女は69歳になる1992年5月までジャニーズ関連の舞台に出演を続けているのだ。なお1992年の春といえば、桜田淳子や山崎浩子(離婚し、現在は脱会)ら日本の著名人が参加することとなる合同結婚式の開催(同年8月)直前であり、統一教会による「霊感商法問題」が連日、マスコミを賑わしていた時期である。

 月丘とジャニーズ事務所とのこの長きにわたる関係の背景には、月丘が同事務所の上層部……つまりはジャニー喜多川、メリー喜多川のいずれか、もしくは両方と懇意だったという事実があると考えるのが自然だろう。

 その“接点”を追っていくと、ある人物の名前が浮上する。メリー喜多川の夫だった作家・藤島泰輔である。

 学習院大学政経学部(当時)の出身である藤島は、現・上皇(当時は皇太子)の学友であるというプロフィールの持ち主だ。藤島の作家デビュー作『孤獨の人』(1956年)は、学習院高等科に通う皇太子とその学友たちの学生生活を描いた青春小説で、皇族をひとりの人間として描いた衝撃的なものであった。書籍がベストセラーとなることで、『孤獨の人』は1957年に日活で映画化されている(監督は西河克己)。 この作品に、月丘夢路が出演しているのだ。実質の主役は津川雅彦が演じる高校生だったが、トップスターである月丘が主演のようにプロモーションされ、クレジット上も彼女がトップの扱いであった。

 これは、ジャニーズ事務所の誕生前どころか、藤島とメリーが婚姻関係になる以前、さらに統一教会の日本進出よりも前の話。1957年といえば、岸信介が内閣総理大臣に就任した年でもある。

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1957年に日活で映画化された『孤獨の人』。原作はメリー喜多川の夫・藤島泰輔で、月丘夢路も出演している。“月丘夢路”、“ジャニーズ事務所”、“統一教会”という点の繋がりが見えてくるようだ。(画像はAmazon Prime Videoより)

往年の女優・月丘夢路がメリー喜多川の夫と自民党機関誌で対談…口にした「自民党ファン」の言葉

 右派・保守系の評論家としても活動した藤島は、映画『孤獨の人』から約20年後の1977年夏に行われた参院選に、自由民主党公認で全国区に立候補し、落選した経歴も持つ。実はその直前には、自由民主党の機関誌「月刊 自由民主」(1977年02号)誌面で月丘と対談しているのだ。

 1977年といえば、すでに「国際勝共連合」が設立された後。時の総理大臣は、かつて統一教会教祖・文鮮明が開いた晩餐会の席で「アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明である」と礼賛スピーチをしたこともある、福田赳夫だ。この頃のジャニーズ事務所は、郷ひろみが去り、たのきんトリオが登場する以前の低迷期だった。

 対談の冒頭で月丘は、「根っからの自民党のファンなんですよ」と堂々宣言。同記事ではほかにも、大企業、核武装や原発に対して肯定的な、そして共産党、共産主義に対しては否定的な発言が散見される。この対談は、少なくともテキスト上は、華やかな映画スターを招いて藤島が恐縮している、あるいは雄弁な言論人に接して女優・月丘が遠慮しているといった雰囲気は一切なく、親しい2人が和気あいあいと政治や社会を語っているふうである。また興味深いのは、月丘が対談のなかで韓国通ぶりを披露していることである。1977年というのは韓国においては朴正煕政権時代であり、軍政下にあったソウルの夜間通行禁止令が全面的に解かれる以前のことであった。なぜ月丘がその時代の韓国に詳しいのかについては、言及されていない。

 月丘以外にジャニーズ事務所と親しい関係にあったベテラン女優に、森光子がいた。森はメディアで「ジャニーズの母」のような扱いを受けることもあった。しかし彼女は西城秀樹を寵愛していた時期もあり、チェッカーズのファンだとテレビで公言していたこともある。つまり、ジャニーズ限定の“推し”であったわけではなさそうだ。これに対し月丘は、少なくともその仕事を見る限りにおいて、ジャニーズに対してのみ密接であったように見受けられる。

 月丘には、過去に「“株式会社クンクン”なるジャニーズ事務所関連会社の代表を務めていた」との報道もあった。インターネット上には、この会社の業務内容は「雑誌、カレンダー等の企画制作の各出版社との契約折衝代行や化粧品製造販売」だという情報もある。残念ながら彼女が代表だったことを立証するソースは見つからなかったが、もしこの報道が真実だとすれば、月丘はほとんどジャニーズ事務所の“身内”だったのだといえよう。

“権力と芸能”…音事協、中曽根康弘、メリー喜多川、藤島泰輔、そして石原慎太郎

 繰り返しになるが、統一教会は傘下の国際勝共連合が「反共」の旗を掲げることで、日本の政界の中枢に入りこむことに成功した。つまり、国際勝共連合が活動を始めた1968年以降は、右派に近づけば、おのずと統一教会にも近づく可能性が生じるようになったのだ。“自民党ファン”だと公言した月丘が、統一教会系企業の広告塔に起用されたのも、そうしたつながりによるものなのかもしれない。

 もともと日本の大手芸能プロは、みずからの地位向上を目指し、政権与党、つまりは自由民主党に接近し、その庇護を受けることで政治力をつかんでいった経緯がある。

 1963年に設立され、多くの芸能プロ所属する業界団体「日本音楽事業者協会(音事協)」(ジャニーズ事務所は非加盟)の公式サイトには、「1980年(昭和55年)に音楽事業の健全な発展と文化芸能の質的向上を図ることにより広く国民生活の向上に寄与することを目的に、通商産業大臣(当時)より社団法人の許可を受け、経済産業省を主務官庁とする公益法人として活動してまいりました」とある。この音事協の初代会長は、通商産業大臣だった経歴もある、のちの内閣総理大臣・中曽根康弘なのである。

 また、音事協を含む音楽事業者4団体が、先の参院選の際に、自由民主党公認候補の今井絵理子と生稲晃子の支援を表明したのは記憶に新しいところだ。

 他方、メリー喜多川と藤島泰輔が夫婦であった事実は、ジャニーズ事務所もその発展の過程において、右派人脈の力を借りた可能性を示唆するものだ。現に、政治家転向前後の石原慎太郎がフォーリーブスのレコードに推薦文を寄稿する、題字を執筆するなどをしたこともあった。蛇足ながら、井上梅次と月丘夢路が、監督と女優として仕事をした映画『月蝕』(1956年)の原作者は、石原慎太郎だ。

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井上・月丘夫妻の死後も、そのファミリーとジャニーズ事務所の蜜月関係は未だ健在のようである。(画像は一般財団法人「井上・月丘映画財団」公式サイトより)

井上梅次&月丘夢路夫妻の娘の財団理事に、藤島ジュリー景子の名が

 井上は統一教会関連作品以降、映画を撮ることはなく、2010年に86歳で他界。月丘は94歳まで生き、2017年にこの世を去った。自民党シンパの月丘だけではなく、井上も保守的思想の持ち主だったといわれる。ただしこの夫婦は、合同結婚式で結ばれたわけでもないし、実際は旧統一教会とどの程度の深い関係だったのかは定かではない。「月丘夢路の『月』は、文鮮明(ムン・ソンミョン)の『ムン(ムーン)』にあやかったもの」などという説もあるが、統一教会が生まれる10年以上前から彼女は宝塚の舞台に立っているわけであり、上記の説は99.99%あり得ないだろう。

 はっきりしているのは、井上梅次という映画監督と月丘夢路という女優の夫婦は、そろって統一教会(もしくは関連団体)のPR活動に力を貸したということ、2人がジャニーズ事務所と接点があり、特に月丘は同事務所とかなり密接だったということだけである。

 最後に、ジャニーズ事務所と井上&月丘夫妻との特別な関係を示す、さらなるファクトをひとつ紹介しておこう。

 井上と月丘の長女で料理研究家の井上絵美は、月丘が存命中の2013年に「一般財団法人 井上・月丘映画財団」なる団体を設立している。この団体の理事には、メリー喜多川と藤島泰輔の長女で、現・ジャニーズ事務所代表取締役社長である藤島ジュリー景子が名を連ねているのである。(文中敬称略)

【前編「ジャニーズ事務所と統一教会を結びつける“ある芸能夫妻”…知られざる芸能の戦後史」はこちら】

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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