このところ物価上昇が激しくなってきたことから、デフレが長く続いた日本でもインフレの関心が高まっている。物価というのは身近なテーマではあるが、実はよく分かっていない部分も多い。経済学でも、物価というのはそれほど突き詰めて研究されているわけではなく、多分に経験則的な扱いになっているのが実状である。物価上昇は当面続く可能性が高く、物価についての基本的なメカニズムについて知っておいて損はない。
需要と供給で価格は決まるというのが基本原則だが
基本的にモノの値段というのは需要と供給で決まる。需要が増えたり、供給が制限されると物価が上昇するという話だが、需要拡大に伴う物価上昇のメカニズムについては、ある程度、直感的に理解できるのではないかと思う。ここでは商品を販売する小売店をモデルに考えてみよう。
景気が拡大して店舗に並ぶ商品がたくさん売れるようになると、小売店はビジネスに対して強気になる。価格を上げても客足が落ちないと判断すれば、利益を最大化するため値上げを決断する可能性が高くなる。仮にその店が価格を据え置いた場合でも、店舗に商品を納入している卸が値上げを決断してしまえば、小売店はより高い価格で商品を仕入れなければならない。店舗側は利益の減少を防ぐため、やはり値上げを決断するだろう。
景気が拡大している場合には、一連の動きが、あらゆる業界で発生するので、同時多発的に値上げが起こり、消費者物価指数は上昇していく。同様のメカニズムは、モノの市場(財・サービス市場)だけでなく、貨幣市場でも発生する。
価格が上昇すると、同じ商品を仕入れるために必要なお金の額が増える。通常、仕入れは商品の販売より先行するので、企業は一定金額のキャッシュを運転資金として確保する必要がある。物価が上がると、運転資金の額が増えるので、一般的に銀行からの融資は増加することが多い。
貨幣市場においては、貨幣の需要が過大になるので、銀行は収益を最大化するため、金利を引き上げる。金利の上昇は企業にとってはやはりコスト要因なので、さらに物価を引き上げる作用をもたらす。
これまでの説明は景気の拡大で需要が増えるケースを想定しているが、原材料価格の高騰など、コスト的な要因でも似たようなメカニズムが働く。コストが上昇すると、企業はその分を価格に転嫁しなければ、従来の利益を維持できない。多くの製品が値上げされると予想される場合、企業は値上がりする前に製品を確保しようと試みるので、それが需要増となってさらに価格を引き上げてしまう。
価格が上昇すると、経済活動の維持に必要なマネーの量が増えるので、やはり金利が上昇して、コスト増加に拍車がかかるという点も同じである。
インフレには貨幣の量が密接に関係している
ここまでの話は貨幣の量が一定であると仮定したものだが、現実社会は異なる。金本位制ならいざ知らず、現在の通貨制度においては、中央銀行が貨幣の量を自由にコントロールできるので、貨幣の量は一定ではない。もし中央銀行が短期間に貨幣の量を2倍に増やした場合(例えば、日銀が紙幣を大量に刷って、現在の預金額と同額のお金を全国民にプレゼントしたと仮定する)、物価の量は単純に2倍になると予想される。
一見すると自身の預金が2倍になったのでお金持ちになったように思えるが、経済の内実は何も変わっていないので、1個100円だったものが、単純に200円になるだけである。この話は、市場にどれだけの量の貨幣が流通しているのかで最終的な物価が決まるという仕組みであり、経済学的には「貨幣数量説」と呼ばれている。
だが、経済は常に合理的に動くとは限らない。先ほどから説明しているように、何らかの形で物価上昇が進んでいる時に、中央銀行が過剰にマネーを供給すると、多くの人が将来、さらに物価が上がるのではないかと考え、インフレが予想外に加速してしまうことがある。
実は、今の日本経済は、実体経済に比してマネーの量が多く、供給過剰となっており、インフレが加速しやすい状況にある。マネーが供給過剰になっている最大の理由は、言うまでもなく日銀が行ってきた量的緩和策である。
量的緩和策というのは、日銀が国債を積極的に買い入れることで、大量のマネーを市場に流通させる金融政策である。大量の貨幣が流通すると、個人や企業はインフレが進むのではないかと予想するようになる(期待インフレ)。インフレ期待が高まると実質金利(名目金利から物価上昇率を差し引いた金利)が低下するので、銀行の融資姿勢が積極的になり、設備投資が増えて景気が拡大するというメカニズムが想定された。
残念なことに設備投資はあまり増えず、量的緩和策はあまり効果を発揮しなかったが、日銀が市場にマネーを大量に供給しているという状況に変わりはなく、日銀がマネーを回収しない限り、供給過剰の状態が続く。
インフレほどやっかいな事態はない
経済学の理屈上、原油や食糧など、一次産品の価格が上昇しただけで、全体の物価が大幅に上昇することは通常、あり得ない。広範囲なインフレというのは、コスト的な要因に加え、マネー的な要因が絡み合うことで発生するケースがほとんどであり、今回もその条件を満たしている。多くの専門家が物価上昇の影響が大きいと考えているのは、量的緩和策というマネー的な要因が絡んでいるからである。
ひとたびインフレが加速すると、多くの人が現金を手放してモノに変えようとするので、さらに貨幣の価値が下がってしまう(物価が上昇してしまう)。このような状態になった場合、インフレを沈静化させるためには、拡大した信用創造を縮小するしか方法がなくなる。現実的には中央銀行が金利を引き上げ、強制的に市場に出回るマネーの量を減らすという政策である。
米国はこれまで物価上昇ペースに合わせて賃金も上がっていたことから、インフレは何とか制御できると思われていた。ところが今年に入って、賃金上昇ペースが物価の上昇ペースに追い付かなくなり、インフレ懸念が急速に台頭している。米国はクルマ社会なので、ガソリン価格の上昇は政権にとって大きな痛手となる。バイデン政権は11月に行われる中間選挙を前にインフレ対策に必死だ。
米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備理事会)は、インフレが加速する場合には、躊躇せず金利を引き上げる方針を示しており、バイデン大統領もこうしたFRBの方針を支持している。インフレがさらに進むような状況となった場合、FRBは金利の引き上げを前倒しするだろう。
金利の引き上げは、インフレを沈静化する効果があるが、一方で景気にはマイナス要因となる。インフレのもっともやっかいなところは、インフレを退治するためには金利を引き上げる必要があり、一方で金利の引き上げは景気に逆風になるという矛盾を抱えてしまうことである。
景気が落ち込んだ場合、通常は財政出動などの需要拡大策を実施するが、経済学の理屈上、需要を拡大すれば、総需要曲線が右にシフトして価格を引き上げてしまう。つまり、せっかくインフレを沈静化させても、需要を喚起すると再びインフレに逆戻りしてしまうのだ。
終戦後の日本や70年代の米国はこの矛盾に苦しみ、インフレからの脱却にはかなりの期間を必要とした。このようにインフレというのは非常に厄介な現象であり、インフレが本格化する前に対処するというのが原理原則となる。
(文=加谷珪一/経済評論家)