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“昭和最後”にして“平成最初”の1989年1月を考察する【第3回】

カルロス・ゴーン登場の10年前、日産自動車がいまだイケイケだった“昭和最後”の7日間

文=ミゾロギ・ダイスケ
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カルロス・ゴーン登場の10年前、日産自動車がいまだイケイケだった“昭和最後”の7日間の画像11989年、日本はまだバブル経済の真っただ中にあった。(写真は「Getty Images」より)

 あらゆる事象に“平成最後”が冠せられたり、新元号の発表方法に関する報道があったりと、約30年ぶりの改元に対する関心が高まっている。平成は本年(平成31年)の4月30日をもって終わり、その前後は空前の10連休になるという。

 ところで、その約30年前――昭和から平成への改元の直前・直後の日本には、どんな風景が広がっていたのだろう?

 その前に整理しておくと、昭和は1989年(昭和64年)の1月7日に終わり、平成は同年の翌1月8日に始まっている。つまり、“昭和64年(の1月)”はわずか7日間、そして“平成元年の1月”は24日間しかなかったわけだ。

 バブル崩壊のきっかけとなった、当時の大蔵省による総量規制の開始は翌平成2(1990)年の3月のこと。つまりこの時期は、まさにバブル絶頂期である。そんな折りに“イレギュラーな暦”を経験することとなったこの1989年の最初の1カ月を、芸能、スポーツ、娯楽などの分野を中心に振り返ってみたい。それは、平成31年の視点から眺めてみると、実に興味深い事象の宝庫なのだ。

 当時はバブル絶頂期だったこともあり、昭和天皇の崩御により消費活動が極端に停滞するといったことはなかった。また、新しい元号のスタートを祝う空気も生まれ、それと反比例するかのように自粛ムードは比較的短期間で退潮していく。

 昭和64年の1月を検証するシリーズの第3回である本稿では、世の中が徐々に通常営業の状態に戻っていった数週間の出来事をクローズアップしてみよう。

空前絶後のバンドブームがすさまじかった

 1980年代終盤の音楽界では、過去に例のないバンドブームが起きていた。リスナーの数が拡大したためか、次々にデビューする新人バンドのみならず、すでにデビューしていたバンドも続々とブレイク。専門誌がいくつも創刊され、CMにバンド系ミュージシャンが出演するケースも増えた。また、バンドに憧れ、楽器を手に取る若者も急増していた。

 全国的に音楽ライブの開催が熱を帯びており、その総本山ともいえる日本武道館では、本シリーズ第2回で述べた爆風スランプのように、人気バンドの2デイズ、3デイズの公演が頻繁に行われている。平成最初の1月には、レッド・ウォーリアーズ(16〜18日)、BUCK-TICK(19〜20日)、プリンセス プリンセス(23〜25日)が複数日ライブを開催した。

 もう1点付け加えておくと、タイトルにいち早く新元号を引用した深夜番組『平成名物TV』(TBS系)の1コンテンツとして、『三宅裕司のいかすバンド天国』がスタートするのは2月のこと。この番組のヒットは、バンドブームにさらに拍車をかけていく。

カルロス・ゴーン登場の10年前、日産自動車がいまだイケイケだった“昭和最後”の7日間の画像2ソニー・ミュージックより発売の『プリンセス・プリンセス ベスト』

バブル景気に乗った日産自動車がイケイケだった

 傘下のサッカーチームが昭和最後の天皇杯で優勝した日産自動車はこの時代、バブル景気に乗り、本業でも勢いづいていた。

 高級車のY31型「シーマ」、“ナンパカー”or“デートカー”といわれた「S13型シルビア」、パイクカー(スタイリングに特徴のある車種)の第1弾として企画された「Be-1」、などヒット車種を続々輩出。そして、平成元年1月15日には、パイクカーの第2弾としてレトロ風の「パオ」、さらにカタツムリのようなデザインの「エスカルゴ」を発売している。

 同社が経営難からフランスのルノー社と資本提携し、カルロス・ゴーンが最高経営責任者となるのは、それから約10年後のことである。

カルロス・ゴーン登場の10年前、日産自動車がいまだイケイケだった“昭和最後”の7日間の画像3ダイヤモンド社より2001年に発売された『ルネッサンス ― 再生への挑戦』

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