4つのプロペラを備えた無人機の重さは1.6キログラム。7つのセンサーとカメラを搭載しており、警備するエリアに設置されたセンサーが不審者の侵入を感知すると、無人機が自動飛行を開始。地上3メートル付近の位置から不審者が逃走するのを自動で追尾し、攻撃されそうになると空中に避難する。無人機は不審者の身長や服装、顔の特徴、車の色、種類、ナンバープレートの数字、GPSを用いた位置情報などを収集。それらの情報をリアルタイムにセコムのコントロールセンターに送信し、警備員が駆けつける仕組みになっている。無人機は情報収集を終えると、自動的にドック(駐機する拠点)に帰還する。
同時にセコムが開発しているのがウォークスルー顔認証システム。事前にシステムに登録している人の顔をコンピューターが瞬時に識別し、建物内の入退室を顔認証で管理するというものだ。あらゆる角度からの顔認証が可能になるため、歩いている状態でも識別できる。大勢の人が集まる場所でも顔認証を行える。セコムは小型飛行監視ロボットとウォークスルー顔認証システムを東京五輪に投入することを狙っている。
東京五輪招致委員会が発表した計画書では、五輪期間中のセキュリティ要員の数を約5万人としている。内訳としては、約2万1000人の警察官、約1万4000人の民間警備員、約9000人の警備ボランティアなどが会場周辺に配置される。東京五輪における警備上の最大の課題はテロ対策だ。東京はテロの標的になりやすい都市といわれており、セコムはITを活用した新技術でこれに立ち向かう。
第1回東京五輪で飛躍
セコム飛躍のきっかけになったのは、1964年の第1回東京五輪だった。セコムの創業者で現・取締役最高顧問の飯田亮氏は61年、浅草の鳥鍋屋で学生時代からの友人、戸田壽一氏(現・取締役最高顧問)と欧州帰りの知人の3人で食事した。その席で知人から「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えられ、飯田氏は独立し警備会社を設立することを決意した。
62年7月、国内初の警備会社、日本警備保障(現・セコム)が発足。飯田氏と戸田氏、2人の警備員の合計4人によるスタートだったが、仕事はなく、創業4カ月後に獲得した最初の契約は、東京千代田区麹町にある旅行代理店内の巡回だった。
そんなセコムは64年、第1回東京五輪で代々木の選手村の警備を受注し、一気に会社の知名度を上げた。65年4月から始まった連続テレビドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)のモデルになり、セコムは一躍人気企業に。警備サービス業というニュービジネスが社会に認知された。創業以来、二人三脚で歩んできた飯田氏と戸田氏は97年、取締役最高顧問に退いた。
IT積極活用で新サービス創出
現在のセコムは、日本有数のIT活用企業でもある。センサー機器や監視カメラなどを配備して異常発生時に出動する機械警備の分野では、セコムは草分け的存在である。セコムの警備事業の顧客件数は全世界で258万件(14年3月末)、うち188万件は国内の企業や個人だ。この多くの拠点には防犯カメラが設置されている。監視カメラの映像など膨大なビッグデータが、センサー機器やITの発展により次々と生み出され、IT各社はビッグデータを経営に活用しようと参入を急ぐ。セコム新社長の伊藤氏はビッグデータの活用に経営の軸足を置く。2020年東京五輪までにロボットなどを活用して、防災や医療分野で新しいサービスを創出することを計画している。
警備サービス業界で揺るぎない強さを誇るセコムだが、懸念事項はないのか。中古ブランドショップ「東京ぶらんど」を展開するグローバルトレードは6月17日、店舗に窃盗団が侵入した際にセコム製防災機器が正常に作動せず被害を受けたとして、セコムに約4000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状によると、12年12月16日早朝、都内の店舗に覆面をかぶった集団がドアを壊して侵入し、数分間で総額3700万円超の商品が盗まれたり、壊されたという。セコムと契約し、侵入者を感知するとすぐに白煙が出る機器を設置していたが、煙が出たのは窃盗団が店を出た後だったという。グローバル社側の説明によると、セコムは「機器に不具合はない」と責任を否定、セコム損害保険、東京海上日動火災保険も被害状況が不自然だとして、支払いを拒否しているという。グローバル社の牟田成会長は記者会見で「(盗難は)自作自演ではない」と主張している。
どちらの主張が正しいのか、今後裁判で明らかにされるが、もし同様の事件が続けば、東京五輪で「第2の飛躍」を狙うセコムにとって大きな不安要素に発展する恐れもある。
(文=編集部)