安倍首相が4月1日、新型コロナウイルス特措法に基づく政府対策本部会議で、全世帯に2枚の布マスクを郵送で配布する方針を表明した。このニュースを見て、私は思わず吹き出し、いったい何を考えているのかと首をかしげずにはいられなかった。
私自身、外来診察の際につけるマスクを、勤務先の病院や診療所がちゃんと支給してくれるわけではないので、自分で調達するのに苦労してきたのだが、3月初旬に某通販サイトで注文していた中国製のマスクが最近になってやっと届き、一息ついた。
周囲の医療関係者からも、最近マスク不足が一時期に比べると少々改善したという声を聞く。もちろん、現在もなおマスクを手に入れるのに苦労している方は少なくないだろうから、そういう方にとっては、マスク2枚の配布は朗報に違いない。ただ、その前に休業補償をはじめとして、やるべきことは他にいくらでもあるはずというのが私の正直な気持ちである。
マスク2枚配布という方針を安倍首相が打ち出したのはなぜなのかと私なりに頭を悩ませているうちに、ルネサンス期のイタリアの政治思想家、マキアヴェッリの「恩賞は小出しに与えるべし」という戒めを思い出した。安倍首相はこの戒めに忠実に従っただけなのかもしれない。
だが、この戒めの理由を説明する「それを人によりよく味わってもらうために」という言葉も忘れてはならない。マスク2枚では、国民によりよく味わってもらうどころか、むしろ反感と怒りをかき立てるのではないか。
もっとも、こういう反応を引き起こす恐れがあることを想像できないからこそ、安倍首相はマスク2枚配布という方針を表明したのだろう。したがって、この連載で以前取り上げた妻の昭恵夫人と同様に想像力が欠如している可能性が高い。安倍首相は、母方の祖父が首相で、父方の祖父も父も代議士という名家のお坊ちゃまなので、想像力を働かせる必要がなかったとしても不思議ではない。
「他者の欲望」を察知する能力の欠如
それよりも私が深刻だと思うのは、国民が何を望んでいるのかを敏感に察知する能力、つまり「他者の欲望」を察知する能力が安倍首相に欠如しているように見えることだ。というのも、「他者の欲望」を察知し、政策に反映させていく能力は政治家に不可欠だからである。
もちろん、「他者の欲望」を察知して実行することをやりすぎると、ポピュリズムに堕する危険性がある。だから、いくら国民の反発を招こうと、必要な政策を実行していくべきだが、逆に「他者の欲望」を察知する能力が欠けていると政治家として失格といわざるをえない。
安倍首相は、現在国民が求めているのは何なのかを敏感に察知して、政策に反映させていくべきだ。たとえば、私が定期的にメンタルヘルスの相談に乗っている金融機関では、運転資金の融資の相談に5時間待ちと聞く。また、私の外来に通院中の「保険のおばちゃん」の話では、保険を解約する人が増えているという。それだけ、逼迫(ひっぱく)している方が多いのだろう。
そういう現状を安倍首相は全然わかっておらず、ただ「自分は国民のためにちゃんとやっている」ことをアピールしたいだけのように見える。コロナ禍への安倍首相の一連の対応を見ていると、マキアヴェッリの
「力量に欠ける人の場合、運命は、より強くその力を発揮する。なぜなら、運命は変転する。国家といえども、運命の気まぐれから自由であることはむずかしい」
という言葉を思い出す。
新型コロナウイルスの感染拡大は「運命の気まぐれ」と呼ぶしかない国難だが、こういうときこそ政治家の真の力量が試されるのである。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
会田雄次『決断の条件』新潮選書
塩野七生『マキアヴェッリ語録』新潮文庫