白米偏食は死の危険!加工食品は食べる価値ゼロ、間違った食事で脳の異常や深刻な病気
本連載において、過度に加工された食品の栄養的価値が著しく低いことは再三にわたって申し上げてきましたが、このことはカロリー中心主義をとる旧態依然たる栄養学では、到底理解できないでしょう。したがって、解決に導くこともできません。その古い栄養学を基に考察・考案され厚生労働省が推奨している食生活の指針も、いうまでもなくあてになりません。
実際に厚生労働省が示す食生活指針に沿った食事内容を摂り続けている人はほとんどいないでしょう。仮に、そのような食事を続けているとしたら、その方はすでに健康を害しているかもしれません。また、体調がおかしいということに気づき、食生活を変えた人もいるのではないでしょうか。
そもそも栄養学というものは、私たちにとっての理想的な食事のあり方を追求し、究明するための学問ですが、その解明した事実・真実を日常の食事内容に落とし込むことができて初めて、学問的価値を認めることができるはずです。
私たちがもっとも頻繁に接する、過度に加工された食品の代表格は白米でしょう。その白米を食事の中心に据え、主食などと謳っている栄養学を、どうしてまともに信じることができるでしょうか。
白米が死をもたらす
白米が体に良くないということは、江戸時代末期には、まだわかっていませんでした。実際に、米を精製加工することで欠落するビタミンB1不足によっておこる脚気に罹患する人がたくさんいました。
当時は「江戸患い」と呼ばれていた脚気ですが、それは参勤交代で江戸詰めになった武士が体調を悪くし、国許に戻ると良くなることから、そう呼ばれていたのです。江戸で白米を食べるという食習慣が問題だったのですが、残念ながら当時はそのことを解明できなかったため、脚気で命を落とす人も随分いたようです。
徳川家・第13代将軍家定、第14代将軍家茂、そしてその妻であった和宮親子内親王も脚気で死亡したといわれています。
明治に入ってからも脚気は猛威を振るい、日清戦争で戦地に赴いた兵士の間でも蔓延していました。陸軍も海軍も、この脚気の流行には頭を悩ませたようですが、はじめにその解決法を見出したのは海軍です。後に海軍軍医総監となった高木兼寛が栄養障害説を唱え、麦飯を食べさせるなどの兵食改良を進めたことにより、海軍兵士は脚気を克服していきます。
後れを取ったのは陸軍でした。19歳という、当時としては最年少で東大医学部を卒業し、後に陸軍軍医総監にまで上り詰めるエリート軍医、森林太郎(森鴎外)が脚気細菌説を唱えて海軍の高木を激しく攻撃します。