有名な「木を見て森を見ず」(You can’t see the forest for the trees.)はどうやら、世界共通のことわざらしく語源は不明とか。
井上雄彦氏の大ヒット漫画『バガボンド』(原作は吉川英治著『宮本武蔵』)の作中でも、沢庵和尚(宗彭)がその教えを引きながらこう諭している。
「どこにも心を留めず/見るともなく全体を見る/それがどうやら…『見る』ということだ」
では、この心得を実際の眼の機能に照らし合わせて考察してみるとどうか。
4月10日付「Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)」に掲載された最新の知見に、そのあたりの事情が明かされていて面白い。
まずは、ヒトの視野の基礎知識からみていこう。
左右それぞれ100度前後あるとされる視野も、物の形や色をくっきりと判別できる注視点はわずか1~2度にすぎない。その「中心視野」の周りで「ほぼ」明瞭に認識できる範囲(約4~20度)が「有効視野」と呼ばれ、それ以外の「周辺視野」では、物の形も色の判別も明瞭さに欠ける。
左右どちらがが見えやすい?
ところが、「周辺視野」は中心にない物体を見る能力に長けており、眼が焦点を合わせる前にその第一印象や全体観を掴む重要な役割を果たしているのだ。
そして、この周辺視野が持つ能力には著しい個人差があるという報告が、英ロンドン大学(UCL)の研究主任著者、John Greenwood氏らの小研究によってまとめられた。
12年間にわたって、さまざまな知覚テストを繰り返した結果、左側にあるものを見つけるのが得意な人もいれば、対照的に右側にあるもののほうがよく見える人もいる――との傾向が読み取れた。
「ヒトの眼は誰でも、それぞれ独自の感受性パターンを持っており、見えにくい領域と見える領域には著しい違いがある」(Greenwood氏)
知覚テストの一例はこうだ。被験者にはスクリーンの中心点に眼の焦点を合わせてもらい、さまざまな場所に時計の画像を表示する。
スクリーン上に時計が1つの場合もあれば、2つの時計が隣りあって混在している場合も試された。
その結果、多少の個人差はあるものの、共通の傾向が認められた。2つの目標(時計)が眼の高さから上下に離れており、混在している画像環境下では誰もが総じて「目標探し」に困難を極めた。
一方、時計同士が近くに表示されるほど、中心にある時計を読み取ることが難しくなる傾向も全体で共通していた。いわゆる「視覚的混雑: visual crowding」と呼ばれる現象だ。
「探しものを見つける」能力にも影響
このような周辺視野の特性は、日常生活で探しものを見つける際の能力などにも影響する、とGreenwood氏らは指摘している。
たとえば、テーブルの上にカギが置いてあったとしよう。そのカギが眼の焦点よりも左側にあり、その横に本や書類などが混在気味で置かれてある場合、発見できなくなる人がいる。
ところが「左側の視野が強い人であれば、カギが本の横に置かれてあっても容易に見つけられるだろう」と、研究報告は述べている。
この周辺視野は、感光細胞の50%程度しかつながっていない。視界は鋭さに欠け、解像度は低く、細かい判別能力は劣っている。しかしながら、ヒトの視野の90%以上をカバーし、動きに敏感な能力から危険を察知する点で優れている。
視野の特性を知って運転すべし
こうした周辺視野の特性について理解しておくことは、クルマを運転する人々にも役立つだろうと報告は謳う。
たとえば、車高の高いクルマを運転した場合、低いクルマと比べると歩行者や自転車の存在に気づきにくい。ましてや、いつも渋滞気味の都市部のように多くの視覚的混在物があれば、なおさら発見には困難さが増す。クルマの死角を考慮してみれば、背後にある人や物に気づくか/気づかないかにも周辺視野の個人差を自覚しているほうが事故防止につながるだろう。
ところで「木を見て森を見ず」の関連語に、「熱心は悪しき召使いである」(Zeal is a bad servant.)という表現があるのをご存じだろうか。
いかに右側の周辺視野に優れているドライバーとはいえ、左側だけではなく、右側にも十分に注意しないと思わぬ事故を起こしかねない。むしろ、「(過信からの)右側に気をつけろ」というべきかもしれない。
(文=ヘルスプレス編集部)