小室圭さん親子「借金900万円」報道…眞子さまの結婚一時金を“あてにしている”可能性
秋篠宮さまは、長女の眞子さまと小室圭さんの「結婚を認める」と誕生日会見で発言されたが、宮内庁に抗議電話が殺到するなど批判の声が高まっているようだ。そのさなか、12月10日発売の「女性セブン」(小学館)と「週刊文春」(文藝春秋)で小室家のさらなる金銭問題が報じられた。
まず、「女性セブン」によれば、小室さんが私立の国立音楽大学附属小学校に通っていた小学4年生のときに、父親が自殺したため、学校側は大黒柱を失った小室家に奨学金を出すことにしたという。この小学校には、保護者や教職員などが組合費を支払う「友愛会」という互助組織があり、その積立金のうちから奨学金を捻出することにしたのだ。
金額は、5年生と6年生の2年間で約120万円のようだが、無利子の貸与型なので、もちろん返済の義務がある。ところが、母親の佳代さんは周囲に「返済期限は決まっているけど、無利子だし、返さなくてもいいのよ」と話していたらしい。
また、「文春」は、元婚約者の男性に生命保険の「受取人は私に」と執拗に迫ったとか、この男性と正式に籍を入れなかった一因として<私にとって結婚=主人の遺族年金を無くす事>が大きかったとか報じている。
小室さん母子は<例外者>
一連の報道が事実とすれば、小室さんの母親は金銭への執着が人一倍強く、「借りたお金であっても返さなくていい」という認識が約20年前から続いているように見える。そもそも、「借りた」ということをきちんと認識しているのか疑問である。
小室家のこうした認識は、この連載で繰り返し指摘してきたように、母子が<例外者>だからだと思う。<例外者>とは、子どもの頃に味わった体験や苦悩ゆえに「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と感じており、「これはひどく不公正なことだ。自分は不利益をこうむったのだから、例外的な特権を求めてもいいはず」と思い込んでいる人間である。
何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、親に愛されなかった……など、本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、それが自分は<例外者>だという思い込みにつながる。
小室さんの場合は、やはり父親の自殺だろう。また、佳代さんの場合は、母親(圭さんにとっては祖母)が難病を患い、決して裕福とはいえない境遇で育ったことだろう。それによって小室さん母子が背負った苦労は、はかりしれず、結果的に「自分たちが苦労した分、あらゆる損害賠償を求める権利があるはず」と思い込むようになったとしても不思議ではない。
<例外者>は、自分がいかに不幸だったか、どれだけ苦労したかを強調して、例外的な特権を要求することを正当化しようとする。小室さん母子が、母親の元婚約者が用立ててくれた約400万円を「借金」ではなく「贈与」だと主張し続けてきたのも、<例外者>特有の自己正当化によると考えられる。
また、「文春」で報じられた佳代さんの高級志向も、<例外者>の裏返しの特権意識の表れかもしれない。佳代さんは、安倍晋三前首相も行きつけの高級イタリアンで<キャビアのパスタを是非!>と元婚約者に所望したり、結婚式についても、船上パーティーを持ちかけたりフランスでの挙式を希望したりしているとも報じられている。
「文春」によれば、「国際基督教大学奨学融資制度」で借りた利子付きの貸与型奨学金、524万7000円に加えて、留学費用として奥野総合法律事務所から360万円を貸与されているらしく、現時点であわせて約900万円の借金を背負っているという。
小室さん母子は<例外者>であるという私の見立てが正しければ、このお金も返さなくていいと思っている可能性が高い。結局、眞子さまとの結婚によって受け取れる「一時金」をあてにしているのではないか、いや、あてにするしかないのではないかと勘ぐらずにはいられない。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
ジークムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの 』光文社古典新訳文庫)