子供のアレルギー激増、母親の小麦・牛乳食が原因か…給食、存続不可能の恐れ
正義は、時代・国・地域によって変わるものと考えます。したがって、何が正義で、何が不正義かということは、明確に決められるものではないのかもしれません。
そして法は、生命や財産を含めた社会生活を守るための規範であるといえるでしょう。つまり法は、その国や時代の正義を示したものであるといえるのかもしれません。しかし同時に、法は人が定めたものである以上、そこに空白が生じることもあります。法で民を縛ろうとするほど、またそれを義務化して強制しようとするほど、民はその制裁から逃れるためだけに、見いだした法の空白の中で行動するようになるものです。
民の正当な権利を認めた上で適度な義務を定めるのが、権力を持つ者のあるべき姿と考えます。権力を持った者が、自ら空白の部分を積極的に見つけ出し、それを個人的な利益誘導のために使うなどということがあってはならないはずですが、現代日本においては、それが堂々とまかり通っています。法を、いかようにも拡大解釈できるようにしようともくろむ人々に権力を与えてしまった国民全体の責任は重いと、つくづく感じる日々です。
こうした筆者の発言も、受け取りようによっては体制に対する批判ともいえますが、いやがらせ程度のことはあったとしても、処罰対象となることはないでしょう。ところで、事の重大さから考えても、賛成・反対どちらも含め、大いに議論したいテーマがあります。
それは、最近とみに子供たちの中にアレルギーが増加している、という問題です。このことは看護師の方々はもちろん、幼稚園や保育園で給食を担当している管理栄養士の方や、保育士の方も同じように感じています。現に、子育て中のお母様方のなかにも、子供のアレルギーで悩みを抱えていらっしゃる方は多いのではないかと思います。
大人でも、アレルギーの問題を抱えて悩んでいる人の数は決して少なくありません。アレルギーを持った子供が、なんの手当ても受けずに成長したら、それはアレルギーを持った大人になること必至です。
筆者の若い友人・知人たちは口を揃えて、同世代の若者たちの中にはアレルギーを持つ人が非常に多くいると言います。小麦、牛乳、卵、大豆などに対するアレルギーを持つ人がいるのは当たり前のようになり、今や甲殻類から果物まで、ありとあらゆる食べ物がアレルギーの対象となっています。多くの人が集まり共に食事をするときには、「彼を呼ぶからこの料理はつくれない」「彼女が来るならこの材料は避けよう」となるそうです。
幼稚園や保育園で出す給食も、すべてのアレルギーに対応することができなくなる日が近いといわれるほど、各種のアレルギーが蔓延しています。事と次第によっては、大変な事故につながることもあり得るのがアレルギーですので、園のほうもいい加減なことはできません。一人ひとりの子供の情報を正確に把握して、対応しなければならないのです。