「『渡辺』『坂田』姓の者は節分の豆まきをしなくてもよい」という話があるようだ。そのような風習があるというのは、恥ずかしながら初耳である。どうやら、雑学的な知識を紹介するテレビ番組に取り上げられ、それがインターネットによって拡散されたらしい。実際にこの風習を紹介した過去の文献を探してみたが、残念ながら見つけることはできなかった。
なお「渡辺」「坂田」姓の友人知人にも聞いてみたところ、少なくとも彼らの家庭においては普通に豆まきをしていたとのことであったものの、ともあれ興味深い話ではある。
なぜなら、「渡辺」「坂田」姓の者が豆まきをしなくてよいのは、「鬼が恐れるため」だというからだ。平安期の武人である源頼光の家臣に渡辺綱、坂田金時の両名がおり、この2人がいずれも鬼退治の逸話を持つことに由来する。
この2人に碓井貞光、卜部季武を加えた4人は俗に「頼光四天王」と呼称され、大江山に住むという酒呑童子の退治譚の登場人物として広く知られている。それなら「碓井」「卜部」姓の者も鬼に恐れられなければならないはずだが、これらはそうではないらしい。
「渡辺」「坂田」のみが取り上げられたのは、おそらくこの2人がほかと比べて著名だったからだろう。特に渡辺綱は、個人としても京都の一条戻橋において鬼の腕を名刀「髭切」で切り落としたという逸話を残す。また、その子孫は宮中の警護を行う「滝口の武士」を務めたり、摂津国淀川河口付近に勢力を持つ「渡辺党」を形成して瀬戸内海の水軍の棟梁となったりするなど、武辺の家としての実績に基づくブランディングがなされた。
それは数百年後の戦国期においても健在だった。毛利元就の家臣としてその創業を支えた渡辺通・長父子、豊臣秀吉の家臣で後に大坂夏の陣に散った渡辺糺、徳川家康の家臣である「槍の半蔵」こと渡辺守綱など、後裔あるいはそれを自称する者が多く出ているが、それも前述したブランディングのなせる業だろう。
また、坂田金時はその幼名とされる「金太郎」のほうでより知られている。頼光の郎党に「下毛野公時」という人物がおり、これがモデルではないかといわれている。
公時もまた武をもって宮中に勤仕した人物であり、それと併せて藤原道長の随身、すなわち警護役を務めたりもしている。この人物にさまざまな脚色が加えられて、「金太郎」「坂田金時」の物語がつくられ、特に江戸期において物語や絵画などのモチーフとして描かれるなかで、広く人口に膾炙していったのである。
むしろ「渡辺」「坂田」こそ豆まきをするべき?
「興味深い」と言ったのは、都における職能的戦士団としての「武士」の発生、その最初期において武をもって宮中に仕えたこの2人の姓を持つ者を「鬼が恐れる」、またそのため「その姓を持つ者は豆まきをしなくてよい」としているからである。
「武士」は朝廷の暴力装置として機能するかたわら、邪を払う「辟邪」をその任とした。たとえば「鳴弦」と呼ばれる、弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らすことで魔除けを行ったことなどは、その代表的なもののひとつである。実は節分の豆まきは、この宮中における「辟邪」儀礼に始まるものなのだ。
律令の施行細則となる「式」のひとつである「延喜式」のなかに、大寒の日に「土牛童子」像を諸門に立て、立春の日、つまり節分の翌日にこれを取り除くという儀礼を見ることができる。
これは、節分に行われる「追儺(ついな)」と呼ばれる鬼払いの儀式の先駆的形態とされている。では、なぜ節分に「追儺」をしなければならないのだろうか。それは季節の変わり目、つまり「節分」には「邪気が発生する」と考えられていたからだ。
後世の史料にも、節分の夜は「百鬼夜行」といって、「百千の鬼神がいろいろに身を変じて出没して瘴気をなさんとする」とある。そのため「これを払わねばならぬ」というのである。そして、この「追儺」儀礼は神社仏閣においても行われるようになるなかで次第にかたちを変えていき、現在の節分におけるそれにつながっている。
では、豆まきによる「追儺」が行われるようになったのは、いつ頃からなのだろうか。少なくとも、室町期の史料にそれを見ることができる。『元長卿記』や『宣胤卿記』などの公家の日記にも、節分に際して「打大豆」とある。
また、京都五山第二位の寺院である相国寺の僧で室町幕府の外交僧を務めた瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』の中には、「節分には煎豆をまき、『鬼外福内』の四字を唱える」とあり、現在の一般的な形式とおおむね同じものとなっていることがわかる。つまり、節分における豆まきは「追儺」を行う上での「辟邪」儀礼にほかならない。
そうした観点に立てば、「むしろ『渡辺』『坂田』姓の者にこそ豆まきをしてほしい」と考えるのは、私だけだろうか。鬼も恐れたという勇武をもって宮中に仕え、邪気を払った人々の後裔であるのであれば、節分における豆まきの担い手としては最適任である。
むんずと豆をつかみ、「鬼外福内」の声も高らかに「百鬼夜行」の列へと勢いよく投げつけてもらいたいものだ。そうすれば、今年の幸運は間違いなしだろう。
(文=井戸恵午/ライター)