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松本典久「山手線各駅停車」

日本の重要拠点だった田端駅の秘密

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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 こうした改変に並行して、現在の山手線や京浜東北線に相当する電車運転も始まった。田端駅関連で見ていくと、まず1909(明治42)年12月16日、上野~田端~新宿~品川~烏森(現・新橋)間で山手線の電車運転が始まった。当時の山手線は環状運転ではなく、C字形の路線を往復するスタイルだった。1925(大正15)年11月1日には環状ルートが完成、現在に続く山手線の環状運転が始まった。

 さらに京浜東北線の前身となる京浜線も運転区間が北上してくる。1928(昭和3)年2月1日には田端~赤羽間の電化が完成、桜木町~赤羽間で運転されるようになった。

 こうして田端駅周辺の鉄道施設が拡張されていくなか、田端の街も広がっていく。そのなかで問題となったのは、広大な鉄道用地に分断されて台地と平地の往来が困難になったことである。そこで1935(昭和10)年には田端駅のわきに線路を跨ぐ「田端大橋」が架設された。これでスムースな行き来ができるようになった。

日本の重要拠点だった田端駅の秘密の画像4
日本の重要拠点だった田端駅の秘密の画像5田端ふれあい橋と橋にある新幹線のモニュメント

東京新幹線車両センター、田端大橋

 時代が大きく飛び、国鉄晩年の1984(昭和59)年。国鉄の貨物輸送体系が大改変される。操車場を経由する貨物列車運行を全廃、拠点間を往復するスタイルに改められたのだ。
 
 田端操車場もこの改変のなか、大きく姿を変えていく。この輸送体系改変で操車場機能が不要になった。しかし、貨物列車そのものがなくなるわけではなく、貨物列車運転に最低限必要な設備を残し再開発が進められていく。

 現在、田端駅のわきを高架線で駆け抜ける東北・上越新幹線は、当初、大宮駅発着で運転を開始した。その後、1985(昭和60)年3月14日には上野~大宮間も完成、上野駅発着の運転となった。この開業に合わせて貨車の操車場は新幹線の車両基地に衣替えされたのである。これが現在の東京新幹線車両センターだ。

 田端駅の山手線ホームなどから車庫に出入りする新幹線の姿も見えるが、さらにその奥には貨物列車も発着している。すでに貨物の取り扱いはなく、運転上の発着扱いだけ。駅名も2011(平成23)年3月から田端信号場駅となっている。

 なお、田端駅の象徴のひとつだった「田端大橋」は老朽化のため、1987(昭和62)年「新田端大橋」に架け替えられた。当初、旧「田端大橋」は撤去される予定だったが、歴史的および技術的観点から保存活用が決まり、現在では人道の「田端ふれあい橋」となっている。ここには新幹線などのモニュメントも設置され、田端駅を取り巻く鉄道の歴史を伝えてくれるのだ。
(文=松本典久/鉄道ジャーナリスト)

日本の重要拠点だった田端駅の秘密の画像6田端駅を出発する貨物列車

松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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