マクドナルドの日本進出
そして翌71年7月20日には、ハンバーガーショップ・マクドナルドの日本1号店が、歩行者天国でにぎわう銀座四丁目交差点にある百貨店「三越」銀座店の1階にオープンします。
終戦後すでに25年を経ていたこの頃、日本の食の崩壊が始まっていたということは、随分と後になってからわかりましたが、その時はまったく気づきませんでした。万博の年の11月には、味の素が「ほんだし」を発売するのですが、そのことにも疑問は持たなかったです。一般の庶民たちは――、ただ、便利な世の中になったもんだなぁ、もっともっと便利になるといいなぁ、と思っていたのです。今となっては恥ずかしい限りですが、ただのほほんと他人事のように見ていました。
その思いが通じたのでしょう、本当に便利な世の中になったのです。それは、私たち庶民が望んだものでした。食べるものは、安ければ安いほうがいい。量は多ければ多いほうがいい。とにかくやりたいことがありすぎて、食べる時間も食事をつくる時間ももったいない。そんなことより遊びに行きたい。お酒ものみたい。テレビも見たい。だから、食えるものなら、なんでもいいから安く売ってほしい――。そういう望みを叶えるために、食品は大量生産され、大量販売されたのです。
それが何をもたらすかは、その時は本当にわからなかったのです。つくっている側でさえも、わからなかったに違いありません。そんな時代を経て、「豊食」はやがて「飽食」となり、今では「崩食」の時代となってしまいました。
可児市にできる生鮮食品を扱わないスーパーマーケットが、筆者にはその象徴のように見えます。たった1店舗が、そのような店だったとしても、さほどの影響はないでしょう。しかし、この可児市の店が成功を収めたら、同様の店舗は数を増し、力を得、拡大していくわけです。そしてもし、そのような店が主流となったらどうなるか――。それは、今現在は誰にもわからないことです。
ファストフードの会社が外食部門で売上第1位を長年にわたって独占することも、三越の一角に店を構えた時点で予想できた人はおりません。競合するさまざまなファストフードの業態が飲食の中心になるなんて、考えられもしなかったのです。しかし、そうなってしまったのです。その結果、国民は不健康になり、多大な医療費に苦しみ、自分がいつがんになるかに怯え、健康寿命の短さに驚き、年をとることの不安に苛まれているのです。
原因はもちろん、ファストフードだけではありません。ファストフードは食の乱れ、偏りのひとつの側面でしかありませんが、日常的になることでそれがスタンダードになってしまい、食事全体が劣悪なものになっていることに気づけなくなっていることが問題なのです。