だれもが他人から好かれたいと思っている。
ありのままの姿を見せながらも周りの人に好かれるのがベストなのだが、好かれたいと思うあまりに友達や先生、上司、部下などなど、身の回りの他人に「気をつかう」ことも多々あるのが難しいところだ。
これ自体、特に悪いことではないし、必要なことでもある。ただ、自分の気づかいが「こんなにやっているのに、なぜわかってくれないんだろう?」といった思考に行き着くのであれば、それは「気をつかいすぎ」だ。
他人に気をつかいすぎて疲れてしまう人
他人に気をつかいすぎて、疲れてしまったり、その思いが相手に伝わらないことにいらだってしまう人が読んでおきたい1冊が『他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学』(加藤諦三著、青春出版社刊)だ。
人に気をつかうということは、コミュニケーションにおいて、少なくとも「努力している」ということでもある。その努力が「良かれと思ってやったことが喜んでもらえなかった」、「頑張っているのに認めてもらえない」という「報われない努力」になってしまうのはなぜなのか。
本書によると、人間関係の努力が報われない人は、コントロール能力が弱く、自分の人生をきちんと管理できていない人が多い傾向があるという。自分に不運なことが起こると、他のことまで総崩れになり、今までの努力が水の泡になってしまう、ということがよくあるのだ。
また、プレッシャーがかかった時に、生きるエネルギーをマイナスにしてしまうのも特徴。まずは自分のエネルギーをマイナスに変えてしまうプレッシャーを見極めると、報われない努力を報われる努力に変えることができる。
たとえば、怒りのエネルギーは、生きるエネルギーを非生産的なことに向けてしまう。なので、怒ってしまったときは「この自分の怒りのエネルギーは生産的か?」「生きるエネルギーを無駄にしていないか?」と自分に問いかけてみることだ。自分の気づかいがあだになった時に感じる怒りについても同様である。
報われない努力をしてしまう原因は他にもある。それは、「身のほどを知らない」こと。自分を見つめ直して、今の立場が自分の器以上かもしれない、と考えることができれば、周囲の世界は違って見える。すると、その感じ方が心を落ち着かせてくれるのだ。
気をつかうということは、他人に合わせて生きていること。生きるエネルギーを自分に向けて、他人に合わせることをやめてみてもいいのかもしれない。
自分のしたことに気を奪われすぎていると、努力をして気をつかった結果、「ここまでしてあげているのに」と不満になってしまう。努力を報われるものにするか、そうではないものにしてしまうか。そこにはどんな心理が働き、結果、どう行動しているのか。本書から、気をつかいすぎて疲れてしまう心理を学ぶことで、コミュニケーションの取り方も上達するのではないだろうか。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。