AIはNIを超えることができるのか
AIと認知心理学の研究は、互いに影響を受け合いながら発展してきた。1990年代にはfMRI(機能的磁気共鳴映像装置)といった技術の利用が進み、人間が本を読んだり購買決定したりするときの脳内の変化を観察できるようになり、脳への理解はそれ以前とは比べられないくらい深まった。とはいえ、人間の脳の仕組みについては、まだまだわからないことばかりだ。
それゆえ、AIがNIを超えるかどうかという最近の議論は、論じること自体がおかしな話だ。模倣する対象が未知であり、まだわかっていないものを模倣することは無理だろう。大体において、NIは模倣する価値があるのだろうか。後から説明するが、人間の情報処理過程には欠陥が多々ある。それゆえに「人間は面白い」とコメントすることもできる。だが、わざわざ欠陥がある情報処理プロセスをAIに備えつける必要もないだろう。
そういった意味で、AIはNIとは異なる知能として発展していく可能性のほうが高いし、そうすべきだ。
たとえば、もっとも複雑なゲームとされる囲碁において、AIが人間に勝ったということで話題になっているが、人間の情報処理プロセスにある欠陥や弱点を考えると、弱点の少ない機械が勝つのは当然ともいえる。
そこで最初に、高次情報処理システムといわれる人間の脳の「認知」の仕組みを説明してみる。そうすれば、今のコンピュータにはない、いくつかの制約がNIにはあることがわかる。
人間は5つの感覚を通して、外界から情報を取り入れる。視覚(目)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(口)、皮膚感覚(触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚を含む)がなければ、外界の情報(刺激)はまったく入ってこない。これは、あらためて考えてみると不思議なことだと、私は感慨深く思ってしまうのだが、読者の皆様はどう感じられるのだろうか。
いずれにしても、今のところ視覚と聴覚中心のAIに比べると、人間には多様なセンサーが備わっている。つまり、センサーに関しては、AIのほうに制限があることになる。