音楽プロデューサーの小室哲哉氏と妻で歌手のKEIKOさんが離婚調停中であると、10月24日発売の「週刊文春」(文藝春秋)と「女性セブン」(小学館)で報じられた。KEIKOさんが昨年「婚姻関係にあるのだから生活費を入れてほしい」と頼んだところ、小室氏が離婚を切り出したそうだ。しかも、別居中の生活費などの婚姻費用として小室氏側がKEIKOさん側に当初掲示したのは「月額8万円」だったらしい。
KEIKOさんは、2011年10月にくも膜下出血で倒れ、5時間にわたる大手術で一命を取り留めたものの、高次脳機能障害が残った。現在は日常生活に支障がないほどに回復しているとはいえ、闘病中の妻に離婚を切り出すのは、同情も思いやりもない非情な仕打ちのように見える。こんな仕打ちをするのは、良心の呵責も罪悪感も欠けているからではないかと疑わずにはいられない。
おまけに、小室氏は、今も楽曲提供などで印税が入り、1億円以上の年収があるにもかかわらず、税金や経費を差し引いた基礎収入が600万円台と主張し、それを根拠に婚姻費用は「月額8万円」が妥当だと言っているようだ。そのうえ、借金を理由にお金が払えないとも主張しているという。一方で、現在も家賃100万円以上の高級マンションに住み、運転手付きのベンツを乗り回しているらしいので、自分はセレブな生活を送りながら、妻には随分冷淡で冷酷という印象を受ける。
偉大なアーティストになる条件は「大悪人」
このように自分本位で冷淡かつ冷酷なうえ、思いやり、同情、良心などが欠如している人を、ドイツの精神科医、クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ(情性欠如者)」と名づけた。「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語であり、こうした高等感情を持たない人が「ゲミュートローゼ」である。
「ゲミュートローゼ」は平たくいえば反省も後悔もしない「大悪人」だが、偉大なアーティストには、このタイプが少なくないように見受けられる。というのも、作曲家の三枝成彰氏が『大作曲家たちの履歴書(下)』(中公文庫)で述べているように「偉大なアーティストになるには大悪人でなければならない」からだ。
その代表として三枝氏が挙げているのは、フランスの作曲家、ドビュッシーである。何しろ、下積み時代を支えた女性を2人もピストル自殺未遂に追い込んだのだから、三枝氏が「稀代の悪人」と呼ぶのも当然だろう。
ドビュッシーに限らず、偉大なアーティストが糟糠の妻を捨てて若い美人と再婚したとか、借金を踏み倒したとかいう話は珍しくない。小室氏も、過去の女性遍歴や金銭トラブル、さらに詐欺容疑での逮捕を振り返ると、「大悪人」の名に恥じない人物のように見える。だからこそミリオンヒットを連発し、偉大なアーティストになれたのかもしれない。