「天皇即位時に罪人が減刑される悪しき制度」という誤解…恩赦という“救済装置”を考える
天皇が内外に即位を宣明する2019年10月22日の「即位礼正殿の儀」に合わせ、政府が実施した「恩赦」。対象となるのは、比較的軽微な交通違反などで罰金刑を受け、納付から3年以上が経過した者で、恩赦の種類は公民権を回復させる「復権」のみ。対象者の数は、前回1990年の即位の礼の際に実施された恩赦では約250万人でしたが、今回は55万人程度にとどまるとのことです。
対象者が前回より少なくなったのは、被害者感情や時代性を考慮した結果と考えられますが、それでも恩赦を行うことに対する国民の反応は、おおむね否定的です。時事通信が2019年9月に実施した恩赦に関する世論調査では、「反対」が54.2%で、「賛成」の20.5%を大きく上回っています。ネットなどでよく見かける反対の理由は、だいたい次のような内容です。
・たまたま天皇の代替わりと重なったというだけで恩赦の対象となるのは不公平で、今の時代にそぐわない。
・1990年の即位の礼の際には、多数の公職選挙法違反者を一律に救済するなど、権力側によって恣意的に運用されがちで、天皇の政治利用につながる。
・昔なら天皇や国に感謝して改心する者もいたかもしれないが、現代においては効果を期待できない。
要するに、恩赦というのは存在自体が時代錯誤で、実効性もない制度である、と理解されているということでしょう。
国民のそうした認識の形成に大いに影響を及ぼしているであろうメディアも、今回の恩赦の実施についておおむね批判的に報じています。新聞各紙は一様に、社説で恩赦制度の運用停止や廃止を訴えています。
「恩赦の歴史は古く、奈良時代にさかのぼるとされる。天皇を頂点とする朝廷支配の手段として始まり、武家政治でも受け継がれてきた。現憲法下、恩赦は内閣が決定し天皇が認証する。象徴天皇制が広く支持される現代社会にあって、権力者の権威付けを想起させるような制度は不必要ではないか」(毎日新聞、2019年5月4日)
「皇室の慶弔事を理由にした恩赦には、もはや何の合理性も説得力もない。前時代の遺物そのものであり、実施するべきではない」(朝日新聞、2019年5月13日)
「もともと恩赦は世界各国の歴史でも、国王が慈悲の印となすことで権威を示す効果を果たしてきた。国王の統治の一手段であったことは明らかである。だが、日本国憲法で天皇は象徴であり、政治的権能を持たない。天皇即位を祝う意味での恩赦は、天皇の権威を高める作用を及ぼすか、政権による天皇の政治利用と国民に受け取られかねない。それを強く懸念する」(東京新聞、2019年10月9日)
こうした拒否反応は、国民やメディアだけに見られるものではありません。たとえば前大阪市長で弁護士の橋下徹氏は、2019年5月2日に自身のツイッターで、
「成熟した民主国家である日本において、これからの時代、恩赦はもう止めた方がいい。今回はいきなり止めるわけにはいかないのなら、これで最後にすべきだ」
と述べています。そのような制度の運用停止や廃止を求める声は、法律や政治の専門家からも少なからず上がっているのです。
しかし、恩赦という制度は、そう簡単に切り捨ててしまっていいものではない、と私は考えています。この制度がなぜ存在し、実際にどんな成果を上げているか、という実態に即せば、現代においても恩赦には一定の存在意義があると評価できるからです。そこで今回はまず、恩赦という制度の機能と現代社会で果たしている役割について考えてみたいと思います。