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即位礼正殿の儀、安倍首相の「天皇陛下、万歳」が物議…政教分離と国民主権の問題が浮上

文=井戸恵午/ライター
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第200臨時国会開会式での天皇陛下(写真:AFP/アフロ)

即位礼正殿の儀」は、天皇が即位を国内外に宣明するための儀式である。日本政府はこれを記念して、令和元年(2019年)10月22日を今年限りの祝日とした。

 近代以降、この即位礼は三度行われてきたが、天皇の位を引き継ぐ「践祚」から、1年から3年の期間を置いて行われてきた。天皇がその父母の崩御にあたり、喪に服するための期間である「諒闇」があるからだ。この諒闇期間においては、即位を行うことができないのである。

 践祚は、崩御に伴う「諒闇践祚」と、譲位に伴う「受禅践祚」がある。これまでの践祚はすべて諒闇践祚であったが、今回は受禅践祚で諒闇期間がないため、譲位から半年の短期間での即位となった。なお、大正天皇即位は大正4年(1915年)であり、昭和天皇は昭和3年(1928年)、太上天皇(上皇)は平成2年(1990年)と、年々短くなってきている。これは、諒闇期間における自粛ムードが社会や経済に与える影響について配慮したものであろう。

 興味深いのは、大正・昭和の際には京都御所で行われていた即位礼正殿の儀が、平成の折には皇居で行われるようになった点である。通常は京都御所の紫宸殿に設置されている天皇の玉座「高御座」や皇后の立つ「御帳台」も、儀式に用いるために東京へと運ばれた。その際、安全確保のために自衛隊のヘリコプターで運ばれている。

 また、パレードとしての「即位礼祝賀御列の儀」がオープンカーで行われたのも、このときが初めてである。なお、今回は台風被害を鑑みてか11月10日に延期された。皇居正門から国会議事堂前を経て赤坂御所へと向かう約5km弱のルートを30分で行く予定となっている。

「万歳三唱」が物議を醸す2つの理由

 即位礼正殿の儀の大まかな流れは、以下のようなものである。

1.天皇出御

2.参列者敬礼

3.天皇の「おことば」

4.内閣総理大臣祝詞

5.万歳三唱

6.天皇・皇后退出

 まず、天皇出御であるが、皇居正殿松の間に三権の長、皇族、天皇、皇后の順に入る。また、この間、侍従はそれぞれ剣、璽、国璽および御璽を捧持する。「三権の長」とは、行政・司法・立法の国家三権のトップということであり、それぞれ内閣総理大臣・衆参両院議長・最高裁判所長官の4名である。しかるのち、天皇は高御座、皇后は御帳台へと上るが、このとき、まだ帳は開かれていない。

 参列者一同が鉦(かね)の合図により起立すると、高御座、御帳台の帳が開けられる。また、参列者は鼓の合図により敬礼する。そこから、天皇のおことば、内閣総理大臣祝詞、万歳三唱となるが、この流れ自体は戦前と変わっていない。ただ、おことばは勅語として発せられ、内閣総理大臣祝詞はこれへの奉答として一対をなしていたようである。現在は、あくまで「寿詞(よごと)」として行われており、天皇の位置付けや宮中・府中の関係における微妙な変化が感じられる。しかるのち、総理大臣の音頭で参列者一同で万歳三唱を行う。

 この万歳三唱であるが、戦前より行われているものであり、総理大臣はいったん庭に下りて行った。これは臣下の礼を示すものであるという。前回の即位礼の際には改められ、総理大臣は皇居正殿の中で万歳三唱を行っている。

 この万歳三唱について、2つの論点で物議を醸している。ひとつは政教分離の観点、もうひとつは国民主権の観点である。

 政教分離とは「政治と宗教は分離されるべきである」という考え方であり、日本国憲法にも第20条に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」、第89条には、国が特定の宗教団体を保護したり宗教団体が政治上の権力を行使することを禁ずるなど、政教分離の具体的な内容についてまとめられている。まず、万歳三唱だけではなく、即位礼正殿の儀がかつての国家神道を彷彿とさせ、この政教分離原則に抵触するというのである。

 これについては、本年9月18日に行われた式典委員会において、近藤正春内閣法制局長官は最高裁判決を踏まえて「即位礼正殿の儀はもとより宗教上の儀式としての性格を有するものではない」と指摘、憲法上も問題ないとした。この内閣法制局の見解に対して是非はあろうが、歴史的には政教分離は「俗権(政治)の聖権(宗教)に対する優越」の担保を求めるものだ。

 それゆえに、いわば「政治の無宗教化」なものを求めるのは極めて困難ではないかと考えるし、厳密な適用は難しいのではないかと思う。完全に無宗教化するのであれば、たとえば米国大統領が就任の際に聖書に手を置いて宣誓を行う儀礼ですら廃止すべきということになるだろう。

 国民主権については、即位礼が天皇が神の子孫であるという正当性を示し、国民の上位に存在するような立ち位置にあるのが国民主権の原則に反するという見解である。古色蒼然たる万歳三唱など、もってのほかであるということになる。実際、日本共産党の志位和夫委員長は「国民主権の原則と両立しない。憲法を厳格に順守する立場から出席しない」として、党として欠席する方針を声明している。この点について、政府見解としては抵触しないという姿勢である。

陸上自衛隊の精鋭が「皇礼砲」21発を放つ

 前回の即位礼においては、この万歳三唱が極めて問題視された。先の戦争で多く用いられたフレーズであるから、それを彷彿とさせるというものである。

 即位礼から間もない平成2年(1990年)12月20日、天皇誕生日における記者会見の際に「万歳三唱がございましたが、天皇陛下万歳という言葉は、先の戦争でずいぶん若い人達が死んでいったわけですが、そのことを踏まえて、どんなお気持ちでお聞きになりましたか」という質問が行われている。

 これに対して、当時の天皇は「これはやはり、あの、政府で十分に色々検討して、こういう形が良いということになり、それに従ったわけであります。そういうことはありません。私の世代はそれよりも後の時代に、そういうこととかかわりのない時代に長く生きてきているということが言えると思います」と答えている。

 実際、前回の即位礼の際には、政府がこの国民主権原則に抵触しないことを示すべく、さまざまな工夫をしている。庭に下りての万歳三唱を取りやめたことはすでに述べたが、首相の衣冠束帯姿を取りやめ、モーニングで参列することを決めるなど、衣服の点においても戦前との変化をつけている。当時の海部俊樹首相の語るところによれば、宮内庁は衣冠束帯での参列を求めたが、政府はこれを退けたらしい。

 今回もこの先例を踏襲して行われるようであるが、2000人に上る参列者が首相の音頭で万歳三唱を行う様子は即位礼正殿の儀におけるクライマックスであり、最大の見どころのひとつといえるだろう。

 また、この万歳三唱に合わせ、皇居北の丸公園では「皇礼砲」と呼ばれる21発の礼砲が放たれる。これに当たるのは、陸上自衛隊の第1特科隊の隊員70人だ。なお、同部隊は礼砲を行う自衛隊唯一の部隊で、大喪の礼や即位の礼、あるいは国賓来日の際などに出動している。礼砲に使用するのは米軍より引き継いだ105mm榴弾砲で、すでに退役となったものである。

 この即位に関する礼砲、戦前は陸海軍が行っている。陸軍は、京都のほかにも即位の礼の時間に合わせて各地の部隊が礼砲を放ったようである。また、海軍も各地の港湾に停泊する帝国海軍の艦船は即位礼に際して礼砲21発を発しており、外国軍艦に対して礼砲発射を依頼したという史料がある。また、終日満艦飾も行われた。さすがに現在はそういうわけにはいかないようで、第1特科隊のみがこの伝統を守っている。

戦後社会に新たな皇室を形作った上皇

 万歳三唱ののち、高御座・御帳台の帳が閉められ、天皇が退出して即位礼正殿の儀は終了となる。この後は、本来であればパレードである即位礼祝賀御列の儀へと移る予定であったが、これが延期となったことは既述の通りである。過去の事例を踏まえながら、ここまでの一連の流れを見るにつけ、前回における各種の改変の影響の大きさを感じずにはいられない。

 伝統の骨子を残しながらも、時代の要請を踏まえながら儀式の形式が変容していく様子は興味深いものがある。かつて、後醍醐天皇は「今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべし」と言ったと伝えられている。考えてみれば、太上天皇(上皇)は即位にせよ譲位にせよ、戦前にはなかった数々の「新儀」を行い、戦後社会の中での新たな皇室の形を安定させたといえるかもしれない。また、新天皇の即位に際して、それが「先例」として踏襲されていくのには感慨深いものがある。

(文=井戸恵午/ライター)

井戸恵午/ライター

井戸恵午/ライター

フリーのライター。主にWEBメディアで執筆中。

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