事件の概要は、東部方面総監という陸自ナンバー3の地位にあった泉一成氏が退職後、ロシア大使館付武官でロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)のスパイであったコワレフ大佐に、「普通科運用教範」と呼ばれる戦術テキストを手渡したというものだ。
事件をめぐっては、問題となったテキストについて、隊員であれば誰でも入手できるために「秘密漏洩」ではないという陸自側の主張と、その内容が「実質的な秘密」で自衛隊法の守秘義務違反に当たるという警視庁の主張が真っ向から対立していた。同時に、この対立の背景には、官房副長官補や国家安全保障局(NSC)のポストをめぐる防衛省と警察庁の利権争いがあったとも指摘されてきた。
結局、新聞各紙が報じた通り、この防衛省と警察庁の利権争いについては、泉元総監と泉氏にテキストを渡した陸自関係者を書類送検するということで警察の勝利で決着がついたかのように見えた。
現職の将官を書類送検の動きも
しかし、警察はいまだ、防衛省への最後の一撃を準備しているという声が聞こえてくる。
「新聞報道では、泉元総監と現場レベルの陸自関係者が書類送検されると書かれていましたが、警視庁は、陸上自衛隊富士学校の学校長という、陸上作戦の要の将官までも書類送検する方針です」(公安担当記者)
一般には馴染みのない陸自富士学校とは、陸自の歩兵、砲兵、戦車という陸上作戦の基本となる兵科の教育や訓練、研究を一手に担う、陸自の要の部署だ。その学校長ともなれば、1万人の部下がいる師団長を経験した将官が就くポストで、陸自の花形とされている。
「泉氏が総監の時に部下として勤務していたのが、現在の富士学校長です。コワレフ武官に手渡したテキストは、実は泉氏が富士学校長に頼んで入手したもの。泉氏は警視庁の事情聴取でも、陸自の要となった元部下の関与については供述しなかったようですが、最終的に携帯電話やメールの履歴から富士学校長の関与が発覚したようです。
警視庁は、泉氏が富士学校長の関与を供述しなかった背景には、防衛省・陸自の組織的な証拠隠滅の疑いがあるとみており、見せしめの意味も込めて、富士学校長の書類送検を決めたそうです」(前出・公安担当記者)
防衛省・自衛隊をターゲットにしたスパイ事件は過去に幾度も起こっているが、これまでに逮捕された容疑者のほとんどは自衛隊OBで、現職自衛官の関与については、2000年に発覚したロシア武官によるスパイ事件で逮捕された三等海佐(海軍少佐相当)が最高位であった。いわゆる「将軍」である現職の将官が書類送検されるとなれば、今回の事件が「戦後最大のスパイ事件」と形容されることは間違いないだろう。
防衛省と警察のつば迫り合い
はたして、防衛省は警察庁に煮え湯を飲まされたまま、黙って引き下がるのだろうか。
「防衛省は、00年のロシア武官によるスパイ事件を受けて、自衛隊に対するスパイ活動や反戦運動の情報収集を担当する、自衛隊の“公安”である自衛隊情報保全隊という1000人規模の部隊をつくりました。防衛省は今回も、スパイ事件を防げなかったのは情報保全隊の陣容が足りなかったからだと理由をつけて、この部隊を強化する思惑のようです。情報保全隊が警察やマスコミの動きを嗅ぎ回って、本業の対スパイ作戦ではなく、自衛隊の不祥事が表沙汰にならないための “情報収集”をしているのは、知る人ぞ知る話です。今回の事件を受けて、防衛省と警察の“公安”によるつば迫り合い探り合いが、さらに激しくなるのではないでしょうか」(同)
フランス・パリのテロ事件をきっかけに、政府による情報収集のあり方が議論されているなか、日本の情報機関はどうやら役所の利害とポスト争いのための情報収集に熱を入れているようだ。今回の事件について、影でほくそ笑んでいるのは、陸自の要ポストの首を取ることになった、ロシアのスパイだということを、今一度思い返してほしいものだ。
(文=編集部)