集団感染が激増する中で決行された格闘技イベント「K-1」
新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化する中で今、各国がそれぞれ「感染拡大の経緯と事情」によって、また「情況の理解と解釈の違い」によって、さらには「当該政府の思惑と施策」によって、各々異なる対策を講じながら、それぞれが危急存亡の事態に直面している。
その真っ只中で、国内外のさまざまな場面に不測の事態や契約上のトラブルが相次いでいる。日本におけるその顕著な一例が、直近で起きた格闘技イベント「K-1 WORLD GP」のケースだ。
感染激増の渦中で「さいたまスーパーアリーナ」での決行が予定されていた同イベントの開催に対して、集団感染を怖れた政府と埼玉県は主催者に繰り返し「自粛」を求めていた。しかし、K-1側はマスク配布や消毒液設置などの対策を講じ、3月22日に観客6500人を集めて予定通りにイベント開催を決行した。万が一のために、埼玉県は観客全員の住所・氏名・連絡先を把握するよう指示したという。
イベント会場を訪れた大野元裕埼玉県知事は、会見で「イベントの自粛をお願いしてきた」「今後、無症状感染者が出る可能性もないわけではない」「強制的に中止させる権限はないが、こういう形でイベントが開催されたのは残念だ」とコメントした。
K-1側は、ファンの期待にこたえたい気持ちと大赤字を回避したいために開催を決行したのだろう。集団感染のリスクに無頓着か理解が追いつかないK-1ファンは、予定通りに開催されたことを喜んだ。当然、マスメディアも世論もそのなりゆきに眉をひそめ、この“事件”が耳目を集めた。
しかし、自治体首長の言動には看過できない点がある。この機会に曖昧な部分を洗い出し、要点を整理して問題の焦点を絞り込んでおく必要がある。後述するように、これは「一話完結」の出来事ではないからである。
「県の意思を反映できる」はずの埼玉県が「自粛要請」に失敗
さいたまスーパーアリーナは埼玉県が所有する「公の施設」で、その運営は「指定管理者」である「株式会社さいたまアリーナ」に委託されている。指定期間は、2019年4月1日から2024年3月31日までとされている。
そもそも、非常時の決定権は県民の資産を預かる埼玉県にある。「強制的に中止させる権限」はなくとも、埼玉県が本気で集団感染を懸念し開催を止めたければ、施設営業の一時停止を指定管理者に通告して、払い戻し等の補償を肩代わりするという選択肢もあったはずだ。
事実、埼玉県は県民に対して、同アリーナの事業企画と運営に「県の意思を反映させる必要がある」「同社に対して県が30%超の出資をし、取締役の過半数も占めているため、運営に県の意思を反映できる」と公示しているからだ。念を押すように記されたこの文面で明らかなように、「(同アリーナの)運営には県の意思を強く反映できる」のである。
それにもかかわらず、県知事は「残念」とコメントし、結果として「県の意思」は反映されなかった。知事の言い分は「指定管理者と利用者の契約に県は立ち入ることができないから」というものだ。
知事も県職員も当然、感染の拡大は避けたいに違いない。筆者が事情を聞いた複数の県職員からは「安倍首相が緊急事態宣言を出していないので、知事は身動きできない」との声が聞こえてきた。だからこそ「自粛をお願いした」(同知事)のだという。
しかし、緊急事態宣言を期待する前に、果たして集団感染のリスク回避は本当にできなかったのだろうか。6500人もの観客の中に「感染者は皆無だった」とは誰にも言えないのだ。
自治体は公の施設の指定管理者に対して必要な指示をすることができる
さいたまスーパーアリーナは地方自治法で規定する「公の施設」だが、同法第244条2には「自治体は公の施設の指定管理者に対して必要な指示をすることができる」と書かれている。
一方、これに基づいて埼玉県が定めた「さいたまスーパーアリーナ条例」の第8条には、「知事はスーパーアリーナの管理上必要があるときは、利用者に対して、その都度適宜な指示をすることができる」とあり、第17条1には「指定管理者が知事の指示に従わないとき」は、管理者の指定を取り消したり業務の停止を命ずることもできることが明記されている。
つまり、埼玉県は指定管理者に対して「利用許可を取り消せ」とは命じられないが、地方自治法と県の条例に基づいて「施設の営業を一時停止する指示」は法的に可能だったはずだ。そうなれば自動的にイベント開催は不可能となり、リスクは回避できた。
もちろん、通常であれば知事も職員も指定管理者とのトラブルは避けたいはずだ。しかし、各国ではリアルタイムで今、感染者の爆発的増加(オーバーシュート)による死者が激増しているという現実がある。
実際、3月2日に死者52人だったイタリアでは、本稿執筆時の3月25日現在で6820人もの感染者が亡くなっている。わずか23日間で死者が実に131倍にも増えたのだ。前日には、1日で743人が死亡している。1時間で31人が亡くなっているのである。
同様の「死者激増」は、ほかの国でも発生している。いきなり爆発する集団感染の恐ろしい現実に、日本だけが世界で唯一、それを免れる保証はどこにもないのだ。そもそも、検査を抑制している日本は、感染の分布も不明なまま「全国一斉休校」などという非科学的な施策に奔走し、公表する感染者数を政治的に抑えてきた。
誰もが世界の危機的実態を報道で確認できるにもかかわらず、埼玉県は「自粛のお願い」に留まり「指示」にまで至らなかったわけだが、実は、これは前述のように同県だけで「一話完結」する話ではない。それは、「公の施設」と「地域経済」の将来を危ぶませる悩ましい問題を孕んでいるからである。
全国で指定管理者が自治体所有の「公の施設」を運営している
まずは「カネ」の関係を見てみよう。
前述のように、埼玉県が指定管理者に「指示」すれば自動的にイベント中止となり、チケットの払い戻し等の補償金も発生した。それが前例となれば今後、様子見で「イベントの決行表明」が続発する懸念も県側にはあったかもしれない。
株式会社さいたまアリーナの第23期決算公告を見ると、損益計算書に昨年3月末の売上高が約45億8796万3000円、当期純利益が約9395万3000円と計上されている。委託の取り決めでは、同社が埼玉県に「納付金」という形で「売上高の3%」を支払うことになっているため、県は同アリーナの事業で1億3763万8890円を得たことになる。
言うまでもなく、関東有数のイベント施設である同アリーナには、予約がぎっしりと詰まっていた。K-1以外の予約者が「自粛」に応じたとはいえ、県がそれで安堵したわけではない。感染は拡大の一途、従って「自粛」は事実上「無期限」と想定せざるを得ない。当然、同アリーナの収入は滞るのだ。
これは、個別契約(協定)での金銭関係に留まらない。埼玉県内にある公の施設は同アリーナだけではないからだ。今、机上でそれらの数字を予測・合算するのは容易だが、それは筆者の仕事ではなく政府の役目なのである。なぜなら、同じ仕組みは全国に浸透しているため、国内の自治体で今、公の施設がことごとく「一時的かつ無期限の廃墟」と化しつつあるからだ。
従って、K-1同様の「イベント決行表明」が今後も散発し得ること以上に、「あきらめて自粛する利用者」が山のようにひしめいている実態を「政府がどのように把握し、対処しようとしているか」こそが重要な問題となる。
利用者がイベント等を決行すれば「集団感染のリスクが激増して感染はさらに拡大、死者も急増」し、自粛すれば「自治体の収入が激減し、指定管理業者と関連業者が倒産の危機に陥って、経済が破綻危機」に陥る、という解決し難い事態が今、目の前で進行しているからである。
国民が詳細を知らない「契約」の頂点が東京オリンピックである
おそらく今、イベント等の巨大施設を擁する全国の自治体では、「今のうちになんとか手を打っておかねば、施設利用の需要が無期限にストップし、それを自治体も奨励せざるを得ず、カネが入らない巨大施設に維持費だけが消えていく事態になりかねない」との焦燥が渦巻いていることだろう。それは国も同じであり、さらには、公的事業に運営権を設定したコンセッション制度を導入している世界中が同じ事態に直面している。
そして、実はその頂点こそが“世紀のビッグビジネス”といわれてきた「オリンピック」なのである。
東京オリンピック・パラリンピックが1年延期の場合の「延期損失額」を、関西大学名誉教授の宮本勝浩氏が試算して公表した。金額は施設維持費等で4200億円余、期待された経済波及効果で2100億円余、計6400億円以上だという。問題は誰が損するのかだが、長くなるのでここでは触れない。
オリンピックでは、主催国が国民の税金から莫大なカネを事業投資し、祭典をより華やかで巨大なイベントとして盛り上げようとする。普段は「財政赤字」を喧伝して国庫からカネが出ることに必死で抗う財務省も、オリンピックにカネをかけることにはダンマリを決め込んできた。
これまで、表と裏で帳尻を合わせつつ、莫大な額に引き上げた予算の余禄にほくそ笑んでいた「関係者の面々」は、新型コロナ・パンデミックで不測の事態に陥った今、腹心の部下に、期日設定その他の詳細な条件が記された膨大なボリュームの契約書を再び精査させているに違いない。
自治体も国も企業も、想定外の事態で欠損する皺寄せを、いかなる手練手管で庶民に転嫁するかを考えているのではないか。金融機関もそのための知恵を授けているに違いない。カネの配分と決済こそが優先課題、というわけだ。
「感染拡大の終息後」ではなく、無根拠にも「1年程度の延期」に
安倍首相が「完全な形で五輪が開催できない場合には延期の可能性もある」とコメントした矢先の3月23日、同じく開催にこだわってきた東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(森喜朗会長)も渋々、「今夏の開催を延期することは現実的な選択肢である」と表明した。
翌24日、安倍首相とIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長との電話協議で「東京オリンピックは1年程度の延期」が確定した。気になる“決済”の目途がついたということか。
米国シンクタンク「ブルッキングス研究所」は、新型コロナ感染による世界の死者数を「7つのシナリオ」で予測している。表を見ると、日本は「最小でも12万7000人、最大で57万人が死亡」という信じ難い数値予測が立てられている。
常識的に考えれば、オリンピックは「感染拡大が終息した後に」でなければならないにもかかわらず、それぞれの任期や収支計算に基づいて「1年程度の延期」という無根拠を平然と決めてしまったのであれば、彼ら「リーダー」たちは人としての見識を疑われて当然である。
ともあれ、埼玉県に限らず、多くの自治体で指定管理者との契約詳細は公開されていない。膨らみきった巨額オリンピック予算の契約詳細も、実は不分明なままだ。
国民は今、騒ぎに乗じて政財界の面々がカネの流れの“軌道”を得手勝手に変えようとする動きにアンテナを張らざるを得ない中で、生死にかかわる新型コロナウイルスから己と周囲の人々の身を守る、という至難の局面に立たされている。
(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)