報道によれば、性犯罪に関する刑法の見直しが必要だという指摘を踏まえ、法務省は新たな検討会を設置し、実態に即した刑法の要件などを議論するという。被害者や支援団体を中心に「暴行脅迫」(刑法177条)を撤廃し、意に反する性行為を処罰するよう求める声が高まっており、それらについても議論の対象となる見通しだ。「暴行」「脅迫」の要件を撤廃し不同意性交罪とすることについて、安田拓人・京都大学教授(刑法)に聞いた。
「暴行」「脅迫」の要件はどのように機能してきたか
強制性交等罪が成立するためには、「暴行」「脅迫」を用いて意に反する「性交」をしたこと、それに対応する「故意」があることが必要だ。(刑法177条)
判例実務では「暴行」「脅迫」は「被害者の反抗を著しく困難にする程度のもの」(再狭義の暴行)が要求され、被害者が被害を訴える高いハードルとして機能してきた。このため、2017年の刑法改正時にも法制審議会で「暴行」「脅迫」要件を撤廃すべきかが検討されたが、撤廃に反対する声が大きかったため実現しなかった。
そもそも、強制性交等罪(刑法177条)に規定された「暴行」「脅迫」とは、どのような内容なのだろうか。
「『暴行』というと、通常、殴る行為をイメージするが、刑法の概念からすると、身体を押さえつけただけでも暴行に該当し得る。強制性交等罪の『暴行』『脅迫』は、『ここまで殴ったということは被害者が嫌がっていたんだろうな』というように、被害者の不同意を客観的に推定させる事情として要求されている。しかし、実際の裁判例では、“同意がない=暴行脅迫の要件を満たす”としているものと、“不同意ではあるが暴行脅迫の要件を満たしていない”とするものがあり、圧倒的に後者が多い」(安田教授)
「暴行」「脅迫」要件の厳しさゆえに、意に反する性行為であっても、警察で捜査してもらえなかったり、警察が捜査しても不起訴になったり、という事例が後を絶たなかった。このため、暴行脅迫の要件の撤廃を求める声が大きくなっていた。
2019年12月の元俳優・新井浩文被告人の強制性交等罪の下級審判決では、判例に路線変更があったと指摘されている。暴行の程度は強くなかったものの、具体的な事実に照らして被害者の抵抗が著しく困難だったかどうかを判断し、暴行を認定したのだ。
この判例自体は暴行の基準を下げるものとして評価できるものの、いまだ裁判所の判断としては安定していない。現状では「暴行」「脅迫」要件は、被害者の不同意を客観的に推定させる事情を超えて、処罰できる範囲を狭める方向に機能してしまっている。今後の法改正により、暴行脅迫の基準を下げる、もしくは、撤廃の方向で議論が進むことを期待したい。
なぜ「未必の故意」は認められないのか
強制性交等罪の無罪判決の中には、「暴行」「脅迫」要件だけではなく、被害者の同意がないのに、加害者が同意ありと誤認し、「故意」が認められず無罪とされる場合もある。しかし、身勝手に同意があると誤認していた場合に無罪となるのは、一般人の感覚としておかしい。
法律論でも、刑法で要求される「故意」とは、確信を持って犯罪行為に至る場合だけでなく、「もしかしたら犯罪になるかもしれない」と思いつつ行為に及ぶ未必の故意で足りるとされている。加害者が「もしかしたら被害者は性行為を同意していないかもしれないけれどしかたがない」という認識があれば、未必の故意が認められるはずなのだ。
「(裁判例の中には)理論上は未必の故意で足りるはずなのに、確からしいことの認識まで要求していないだろうか、という疑いを持つものもある。また、被害者の“嫌だけど我慢する”という状態も同意があったものとしているのではないか。現行法でどこまでを『同意』とするかは難しく、議論が必要だ」(同)
前述の新井被告の事件の公判で、検察官から「嫌がるのに、性行為はいいということがあり得るんでしょうか」と質問され、新井被告は「あり得ると…あり得る…あり得るんじゃないでしょうか」というやりとりが報道されている。このやりとりから、“いやよいやよも好きのうち”といわれるような、口ではNoと言っても本音はYesだろうという被告人の認識がくっきりと浮かび上がる。
明示的に嫌がっている場合に同意がないのは明らかである。しかし、被害者が明示的に拒否せず、沈黙していたとしても、かならずしもYesではない。レイプ被害の現場では、被害者が凍りつき、明示的に拒否ができない心理状態に陥ることがあるからだ。では、何をもって「同意」ととらえればよいのだろうか。非常に難しい問題だ。
「同意」とは何か
“いやよいやよも好きのうち”――“No means Yes”の認識を改め、“No means No”を広めようと、性的同意を紅茶で例えた動画が広くシェアされている。動画の中では以下のように説明されている。
“あなたは紅茶を淹れても淹れなくても構いません。
しかし、仮に淹れたとしても相手が飲むとは限りませんよね。
あなたがわざわざ紅茶を淹れてあげたとしても相手にそれを飲まなければならない義務はないのです”
このように、性的同意はどのようなものであるかをとてもわかりやすく説明している。しかし、安田教授は、動画からは判断できない事例もあると指摘する。
「たとえば、盛り上がって一晩限りの曖昧な関係での性行為の場合、明確に相手の同意を得ているかは微妙だという場合は多いのではないか。紅茶を欲しくなかった、本当はコーヒーを飲みたかったとしても『淹れてくれたのを断るのは悪いから飲もう』とイヤイヤ飲んだ場合、YesかNoか、どちらと評価するか。このあたりは、まだ議論が尽くされていないのではないか」
安田教授によれば、「同意の問題は、加害者か被害者か、リスクをどちらがとるかの問題だ」という。同意があったかどうか微妙な場合に、加害者か被害者、どちらにリスクを負わせるのか。スウェーデンでは2018年、リスクを加害者に負わせる法改正が行われた。“Yes means Yes”――Yesといった場合以外はYesではないという考え方だ。
スウェーデンの刑法によれば、性的行為をするにあたって自発的参加を必要とし、相手の意思が不明である場合は相手に意思を聞かなくてはならないとする。意思を聞かずに意に反する性行為をした場合は、犯罪となる。【※】
「“Yes means Yes”とは、性交渉は基本的にレイプだと考えるものだ。真意に基づく同意があった場合のみ例外的にOKとし、それ以外の曖昧なものは、すべて性犯罪となる。このような基準であれば、先述のような事例でも未必の故意が否定されることはないだろう。しかし、“避妊具を着けてくれるなら”という条件だったのにいつの間にか外されていた場合など、同意に瑕疵があった場合をどう評価するのか。同意の意味については、まだ内容がはっきりしていない」(同)
被害者のリスクを軽くする方向での法改正を望む
今まで、性は曖昧なものだとされてきた。「性行為は暗黙の了解のもとでなすものだ」「明示的な同意を必要とすることには違和感がある」という意見もあるだろう。しかし、その曖昧さゆえに、リスクは被害者が負ってきた。被害者は、加害者を罪に問うことができず、苦しみを抱えてきた。
読者が男性でも女性でも、「嫌がっている相手には性行為をしない」「曖昧さのリスクは加害者が負う」――このような社会へ変えていく法改正には、多くの方から共感が得られるのではないだろうか。被害者のリスクを軽くし、意に反する性行為が処罰される方向で議論が進むことを望む。
次回は、準強制性交等罪(178条)・監護者性交等罪(179条)について検討する。
(文=林夏子/ライター)
【参考資料】
【※】日本記者クラブ「スウェーデンの性交同意法 強制性交とは何か」