安倍首相が4月7日、緊急事態宣言を発令した。その後の記者会見では、自粛による収入激減に対する補償を含めて「相当度のアフター・サーヴィスをやる覚悟」が感じられなかった。極めつきは、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えられなかった際の自身の責任について「最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではない」と発言したことだ。
この発言を聞いた国民はどう思っただろうか。なかには、「自分で責任を取る覚悟もない国家の指導者がいくら自粛を要請しても、適当に聞き流しておけばいい。第一、十分な補償もないのに自粛していたら食べていけない」と思った方もいるのではないか。
安倍政権は今回の措置で外出自粛が自主的に進むことを期待しているのだろう。そうなることを私も願うが、欧米の現状を見ていると甘すぎると思う。「国民が外出を自粛して、感染拡大が収まればいいのに」という願望を現実と混同しているようにしか見えない。
これを精神医学では「幻想的願望充足」と呼ぶ。政治家は常に最悪の事態を想定し、その対策を講ずるべきなのに、「幻想的願望充足」にとらわれていて大丈夫なのかと危惧せずにはいられない。
同じ危惧を海外の主要メディアも抱いているようで、欧米諸国の非常事態宣言などと比べて「大胆な措置を取るのが遅い」「強制力も罰則もない」という厳しい見方が少なくない。たしかに、欧米では多くの国で外出制限は強制措置で、違反者に罰則を科している国もある。
たとえば、死者が世界最多のイタリアでは、全土の外出制限と生活必需品を扱う店を除く商店の閉鎖を命じ、街中では警官が検問を実施しており、行き先と理由を記した「証明書」を携帯していない人は最大3000ユーロ(約35万円)の罰金を払わなければならない。死者が1万人を超えたフランスも外出禁止令を出しており、生活必需品の買い物など、政府が認めた目的以外の外出に135ユーロ(約1万6000円)の罰金を科している。
こうした違いがあるにもかかわらず、「欧米人は外出制限を守らないから、厳しい罰則を科さなければならないが、日本人は民度が高いから大丈夫」と主張する識者がいる。本当にそうだろうかと疑問を抱くし、これも「幻想的願望充足」ではないかと危惧する。
たしかに、日本人は欧米人と比べると「お上」の指示や要請には素直に従う傾向がある。だが、多くの日本人がそうだとしても、なかにはきちんと守らない人もいる。また、緊急事態宣言が出た直後は、さすがに自粛しているかもしれないが、しばらくすると「少々は大丈夫だろう」と気が緩んでくる人もいるだろう。
“想像力の欠如”こそ元凶
こういう人に共通して認められるのは、自分のふるまいがどういう事態を引き起こすかに考えが及ばない“想像力の欠如”である。たとえば、慶応大病院で初期研修医の新型コロナウイルス集団感染が起き、これまでに18人の陽性が確認されたが、研修医は約40人で会食していたという。また、京大病院でも、今年度から配属された医師や研修医ら計95人が、病院から自粛を求められていた飲酒を伴う会合や国内旅行をするなどしたとして、一時自宅待機になっていたようだ。
いずれも、人並み以上の知能を持ち、理解力も思考力もあるはずなのに、会食や旅行によって自分が感染するかもしれず、その結果患者に感染させて院内感染を引き起こす可能性があることに考えが及ばない。最悪の場合、患者が重症化して死亡する事態もないとはいえず、自分自身が「加害者」になりうるのに、想像力を働かせることができない。
同様の“想像力の欠如”は、緊急事態宣言の発令前からツイッターで話題になっていた「東京脱出」にも認められる。緊急事態宣言の対象地域の1つである東京を脱出し、実家や別荘のある地方に移動したのかもしれないが、感染しているのに自覚症状がない人がそこで感染を広げてクラスターを発生させる可能性は十分考えられる。現にそういうケースがいくつも報告されている。
想像力が欠如した人に共通するのは、悪気がないことだ。実は、それが一番怖い。決して悪気があるわけではないのに、自分自身が「加害者」になりうる。しかも、そのことに考えが及ばないので、無自覚のまま行動する。
この手の無自覚な感染者、つまり不顕性感染の人が多いように見える。こういう人は元気なので、行動範囲が広く、感染を広げてしまう恐れがある。その結果、今後は強制力を伴うより厳しい外出規制要請を検討しなければならなくなるだろうが、責任を取る覚悟がない安倍首相にそれができるだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)