政府が主張する「平和主義」は詭弁
反安保法制のうねりは、多くの人がリアルに戦争の危機を感じるから起こっているのだと思う。「中国脅威論を政府は煽っているが、これだけ経済交流が深まり、中国と戦争をできるはずがないから騒ぐ必要はない」と主張する人もいる。
しかし残念ながら、それは希望的観測にすぎない。このような教訓がある。英国会議員だったノーマン・エンジェルという人物が、「諸国間で人・モノ・金の交流が非常に活発になると戦争などできなくなる」との理論を主張したが、歴史の現実によって手ひどく反撃された。第一次世界大戦という本当に恐ろしい戦争が現実に起きてしまったのだ。経済原則とは別のロジックで戦争は起き得ることを、十分に認識しておく必要がある。
では、その危うさは、どのように立ち上がってきているのか。2つ整理しておきたい。
ひとつには、「積極的平和主義」という言葉のあやしさがある。1941年12月、日本は対米開戦に踏み切ったが、開戦の詔勅で「東亜の安定を確保」すると説明している。「平和をもたらすための戦争」と主張し、「東亜永遠の平和を確立」するのが開戦の目的だとされていた。
敗戦した45年8月の玉音放送でも「太平を開」く、つまり「平和にする」と述べている。46年11月に新憲法が公布された際にも平和主義をうたっている。つまり、41年も45年も46年も、日本は平和主義だったと主張しているのだ。
国家の語る平和主義というのは、しょせんこの程度だということを肝に銘じなければならない。
では、安倍晋三首相の言う「積極的平和主義」とは何か。自国の安全を保つための平和主義には、積極的方法と消極的方法の2つがあることになる。
消極的というのは、できるだけ戦争にかかわらず自国の安全を図ることだ。一方、積極的平和主義は、具体的に敵を名指しして、なんらかの方法で敵の無力化を図る、あるいは攻撃を通じて自国の安全を図ることといえる。
日本は、戦後70年間、おおむね消極的平和主義を貫いてきた。反対に積極的平和主義の典型例はアメリカだ。要するに安倍政権は、今後はアメリカ流の軍事力の用い方に自衛隊を合わせていこうと考えているのだ。そして、アメリカは第二次世界大戦後も断続的に戦争を行ってきているため、不安が蔓延するのは当然といえる。
つまり、積極的平和主義というスローガンを掲げることは、安全保障政策の根源を従来と真逆にすると宣言しているに等しい。